その日、タイミングよく
隣人さんとドア前で遭遇した

その方が、ドアを開け出てくる所で
その拍子に、室内から一匹の仔猫も
一緒に出てこようとしていた


瞬間、私の中でざわっと反応が起こった

それは、仔猫に対してではなく
人に対してだった

なぜなら、ここはペット禁止の
マンションだから笑い泣き

目撃したの。わたし観測者。


隣人さん「こら~出てきちゃダメだよ~」
と、ほわほわとやさしく仔猫に話しかけていた


ダメだよ~と問い詰められる結果になるのは
あなたの方かもよ~(^^;

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さて、今回はこれをネタにしていこう


一見、この出来事って
ルールを守らない非常識なこと
とか、
おまえさんは悪だー
とか、
正義をふりかざせー正させろー
とか、
自分がルールな強者感
とか、
どちらかと言えばネガティブな捉えられ方や
感じられ方をされやすいかな

色々あると思う



けど、
どんな意識を使って、何を選ぶのかは
ひとりひとりに委ねられるものだと
認識しているし


その目の前の出来事や物事は
自分(わたしという存在そのもの)から
見させられている出来事
として捉えていて

それもなんでかっていうと
深いところで繋がりあっていて
相手もまた自分自身だからね


それで、ふと思いだした
そういえば、わたしにもあった

わたしの場合は金魚だったけど(^^;
「金魚なら飼ってもいいよね~
バレなければいいよね~」って。


動物、生き物の種類とか
大きい小さいに関わらず
似たような「意識」を使っていたことに
思い至った無気力クッ...



いつかの自分の「前提にあった意識」を
出来事として形になって隣人さんを通して
目の前に現れてくれてるなぁ




出来事や物事は、
発した意識(バイブレーション)の結果が
ただそこに存在していて
善悪は何もない


じゃあ、その出来事を観測したわたしが
することと言えば

相手を糾弾する?
猫飼ってたよと告げ口する?

答えは、相手や状況に対しては何もしません。


そこにエネルギーを注ぐことが
どれだけ無駄なことか知ってるから。

というのも、今まで散々やってきて
そこじゃないと分かったから驚き


せっかく満タンに給油した車を
無意味に給油タンクボコボコにして
駄々モレさせているようなもので
なんてもったいない行為ゲッソリ
(先程、母とガソリンの話をしていたから思いついた
極端な例え笑)



で、わたしがすることと言えば、
「これから自分がどういう意識を
前提としておくか選んで決めること」

正直、これだけだと感じてる


意識が先。
現実は後。

この法則を採用したとき、
変えるべきところは
自分の内側の意識のみ



実際、決められたルールやマナーがあるのは
事実だし、その事実に反して生き物を飼うのは、
動物側に非はないのに
猫ちゃんが寂しい結果になることぐらい
想像に難しくない

退去という可能性もあるだろうけど

どっちみち、幸せは一時的で
人も猫ちゃんもハッピーな気持ちが
持続するだろうか...


なので、わたしは想像を膨らませて
どんな結果の可能性にも対応できるように

「また動物と暮らせることを望んでいたけど、
ちゃんと飼ってもOKな場所で
動物の命に責任感をもって大切に飼おう🐱」
「動物の命も、人の命と同じように尊重されて
大切に扱われる意識を大前提にしよう」
「そして、そういう世界線を望もう」

そう決め直しました。


軽薄で安易な意識を
君たちに向けてしまってごめんね
それと、わたしの意識の現れとなって
見せてくれてありがとうね
こういう可愛い茶トラちゃんだった
目が合ったもんね
   引っ越してご家族みんなで幸せになる可能性も
あるからね
  幸せでいるんだぞぉ✨


ざわっとした出来事を
一旦広げてみて
自分のしっくりくるものに書き換える


そんなことをアウトプットしてみました✨

わたし自身が引っ越して
動物のいる暮らしを望んでいたから
今回、目の前に引き寄せたなぁとも感じたよウシシ

↑猫の画像に癒されてます✨
かわちいラブ