いつも、たくさんのいいね、コメントをありがとうございます。
母は、2023年11月6日、午前4時〜5時頃に息を引き取りました。
まず、皆さんが心配されていた鎮静の件。母は、緩和ケア病棟に移れるまでは頑張りたいと言っていました。その願いをなんとか叶えてあげられる事ができ、二週間ほどでしたが、安らかに最期まで過ごす事ができたと思います。鎮静化をする事なく、一緒にいられる時間を過ごせたことは、私も悔いはありません。
耳の遠い祖父母が面会に来た時は、なかなか会話にならずストレスだったみたいです
それでも、みんなで会うことができたのは、母にとっても、良い思い出になったのではないかと考えます。
これまでの経緯について。
コロナウイルスを私が家に持ち込んでしまい、母も感染してしまいましたが、それでもなんとか回復しました。
在宅酸素でしばらく自宅で過ごし、もう一度放射線治療をしてもらえたら良いなーと、一緒に話していました。
放射線治療をするための診察など段取りが済み、照射ができると分かり、私は少し安心した気持ちでいました。ただ、このまま家に帰って来られなくなるなんて....
普段行く主治医の病院ではないところの病院へ入院することになり(9/28ブログ参照)、ヴォトリエントを休薬していました。この休薬期間中に、一気に肺の症状が悪化したようです。それまでは、効かなくなってきているとはいえ、時間稼ぎは出来ていたみたいです。
放射線治療の方は上手くいったようで、お尻から太ももあたりの痛みはほぼ無くなったようでした。
本当であれば、ヴォトリエントと放射線治療を同時に進められるのが良いのでしょう。ただ、ヴォトリエントの服用中は出血が止まりにくくなるので、どちらかを選ぶしか無かったのか?
放射線治療はしたものの、症状がかなり悪くなり、主治医のいる病院へそのまま転院してしまいました。
それからというもの、みるみる状態が悪化していきました。私が仕事帰りに病院へ寄って、ちょうど自宅へ帰った時に病院から電話がありました。主治医からお母さん、容態が良くないから病院へ来てくれる?と。まさかな、と思いつつも、車を飛ばして病院へ駆けつけると、主治医から鎮静化した方が良いかもと。流石にまだ早すぎるのではないかと思い、もう少し様子を見てもらうことにしました。その日は病院に泊まり込み、次の日に容態が安定したので、夕方頃帰りました。
それからしばらくは、仕事を休んで母の様子を見に通う日々を送っていました。
同時に緩和ケアの病棟を探し、母の体力がある今のうちにと、なんとか探し出し、民間救急車で搬送する事ができました。
緩和ケア病棟の病院へ移ってからは、お風呂にも入ったり、ハロウィン🎃のイベントに衣装を着て写真を撮ってもらったりして、心穏やかに過ごせていたと思います。
最期の日は本当に突然で、2日前に会った時は一緒にクッキー🍪を食べたり、会話したりして、4時間ほど一緒にいました。次の日は残念ながら、私は会うことが出来ませんでしたが、祖父母は30分だけと看護師さんに言われて面会したようです。その時の様子は、すでに喋る事ができず、いつもよりも弱っていたみたいです。どうして、その日の夜中にでも、呼び出してくれなかったのか、それだけは心残りです。駆けつけた際に看護師さんからは、電話した時にはバイタルが安定していたと言われましたが、30分の面会制限をかけるぐらい状態が悪くなってるなら、すぐ呼んで欲しかった
ただ、息を引き取る前日の夜に、電話をする事は出来て、その電話越しに看護師さんとのやり取りが聞こえてきました。
母が「酸素が止まっているのでは」と、看護師に尋ね、看護師が「酸素は常に供給されていて、止まる事はないですよ」という会話でした。それだけ、最期は呼吸がかなり苦しかったのだと思います。
私と祖父母が駆けつけた時には、看護師さんから「心臓が止まった状態です」と告げられ、ああ逝ってしまったなと状況を理解しました。
本当に悔しくて悲しかったです。病室からバイバイと言って出るたびに、この一瞬一瞬が最後になるかもと、心の準備はしていたのに....、病室で、この面会が最後になるかもしれないと、母の胸の中でたくさん泣いておいたはずなのに。
涙が出ました。
よく見ると、息を引き取った母の顔にも涙を流したあとがありました....
今となっては、何故泣いていたのか分かりませんが、きっと安心した涙だったのではないかと思います。
もっと生きたかった、一目でいいから私の顔を見たかった、そんな気持ちもあったと思います。
葬儀の方は、生前に母が書いてくれていたエンディングノートの通りに行いました。
たくさんのお花を、仕事の関係や親族の方々から頂き、寂しい思いをさせずに、見送る事ができました。
たくさんの愛と思い出をありがとう。
さようなら。
ハロウィンのお菓子と、ショーン。
母最後の塗り絵
母が描いた主治医。
ブログを見てくださっている方、コメントやいいね、フォローをしてくださっている方々、本当に感謝しています。およそ2年5か月の闘病期間中、皆様のおかげで私と母はたくさん励まされていました。
これから何があるか、先は分かりませんが、どうか皆様ご自愛ください。
どこにいても、母は見守っています。
鳥や草花に生まれ変わっているかもしれません
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