みなさま
このブログを読んでいただいている頃には、私はあの世への道中か、あの世に着いていると思います。
はからずも長引いた闘病生活の間、アメブロのなかで闘病するみなさんから、私はいつも勇気と元気をもらっていました。
御礼を言ってまわりたいくらい、感謝しています! 化けて出ようかな
病気になったからといっても、本人の中身は同じで、毎日を送らなきゃならないのは、何も変わりませんでした。離婚して、ボロボロだった時も同じ。世界の中で私1人が変わったことくらい、誰も気がつかない…
それは、どんな病気でも同じだと思ってました。
でも、自分が病んでみると、がんへの理解がなかなか進まないように、ほかの病気も本当に理解されるには難しいことなのだなとよく分かりました。
健康な方々は、だからといって、家族や友達から離れていかず、遠くで見守らず、声をかけてほしいです。死ぬと2度とお話しできないし、つながっていることの確認は、生き物にとって必要だと思います!
でも、返事は期待しちゃいけないと思います。悲しんでも、憐れむのも違うと思います。
私は編集者をしていました。知られていない希少疾患で死ぬ小さな子がいること、認知症で本当に戸惑っているのは患者本人だということ、仕事で出会ったさまざまなことを心に刻んできました。
私の人生は、決して穏やかではありませんでした。
細々とでも、子どもと暮らしていけることに感謝して、一人でも、ほんのちょっとの時間でも、本を読んでいる間は違う世界を眺めて、それをきっかけに笑顔になるように頑張ってきました。
元気なら、どんなこともできると思っていたのに、どこへでも飛んでいけると思っていたのに。年を取り、引退するまでの時間は、まだあると思っていたのに。
肉腫という希少がんになって、悪くなるたび、心が揺れ動き、治療でどんなに辛くても明日はやってきました。
だんたん、病人の経験を積んで、心の揺れ動きも小さくなっても、容赦なくつらいことは続いていきました。それが、病気で死ぬということなんですね!
急死より、いわゆるがんで死ぬ方がいい、なんて、私は違いました。死に方を比べることなんておかしいよ。死ぬことは決まってる。
人は死ぬ。これだけは一緒だと、すべての人が認識するだけでいいと思います。
仕事と治療の両立は、健康な時とペースを落とさなくてはできないというのは、日ごろのペースが早すぎるか、詰め込みすぎなんじゃないかとも思います。
いつも通りに暮らせなくなることは、病気になってしまうと仕方ないですが、うまくいけば共存していけるのです。
病気を隠したり、病気になった自分を恥じない社会がやってきますように。
辛いとき、社会に合わせて泣きながら毎日を送るのではなく、受け止めて支え合って見捨てない社会であってほしいです。
分刻みの毎日の時間を、自分の将来のために頑張る時間を、少しゆっくり過ごして、隣の人を思いやる、やさしい世界が続いていくことを願います。
病気の人には、元気? って尋ねて良いと思うのです。
病人は、元気なわけない! なんて辛く思う日もあると思うけど、うまく共存できていたら、元気なんです!
みなさんの治療がうまく行くように、力になれるように、見守っていますね!
できるだけ、みんなの辛いこと、持って行っちゃいます! いつかあの世で会えたらよろしくお願いします!
息子よ、辛い思いをさせてごめん。でも君は私の育てた子だから大丈夫! 生まれた時から最高の子だったよ。私だけは知っているよ。だから自分に自信を持って、いつも笑顔で うまくいかないときはちょっと立ち止まって、少し軌道修正して、気をつけて行ってらっしゃい
お父さん、お母さん、先に死んで本当にごめん! いっぱい心配かけて、最大の親不孝までしてしまった。でも、大好きだよ。もっと一緒にいたかったよ。こんな娘を大事にしてくれてありがとう。待ってるから! 安心して来てね! 先に逝ってビール冷やしてます
芋とカエルが好きだった、いもかえるより。
2023年 11月 6日 永眠
以上、母が遺した文です。
作成日時 2022年3月1日 00:59:21