お立ち寄り有り難うございます😌🙏✨

ゆっくりと お話は続きます

今回の この記事は

私の心の世界で観た事柄と、大神神社さんを訪ねた動機です

此度の大神神社の探訪に至るまでの心のストーリーです



幾分 現実離れした表現と

人間なら誰しも有るであろう、人生の低迷期ゆえの重く暗い話がありますので

精神的に辛いお話が苦手な方は Uターンなさってくださいね☺️🙏✨






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夜、特に集中している時に聴こえる

頭上の斜め左側からの奇妙な声…

その声の人物に心当たりがありました



…もしかするとコレが

普段は神社巡り等に行かない私が、大神神社さんを訪ねる幾つかの理由の1つなのかも知れないと

何となく思いました




そして、この『声』には

2つの意味が在るのでは無いか?と私は思いました




先ず第1に

その声の心あたりの人物とは

大学生時代のクラスメイトです

その友人を仮にAさんとします




Aさんは

入学したの四月の終わり頃から私に「将来、自分の結婚式に来てほしい」と言いました



その頃は知り合って未だ ひと月足らずです

お互い 親睦を深めるまでには至っていませんでしたので

そんな先の未来の話をするAさんに

奇妙な違和感を覚えた記憶がありした🤔💧





月日は流れ

お互いの性格が分かるようになってくると

暫くしてAさんは時折

私にマウントを取るかのような態度をするようになってきました




Aさんは兄弟が5〜6人居て、その長子との事でした

言葉の端々に 他人の私に年下の兄弟に対するような

やや侮る様なニュアンスも度々 感じられ

教室では

他のクラスメイトが居る時に私からAさんに話し掛けても

無視される場面もあり

私は次第に不快感を募らせるようになりました







Aさんが私に話し掛けて来るのは

放課後、バス停に向かう帰り道

他に誰も居ない2人だけの時でした



その、あまりに人を馬鹿にしたような態度に遂に我慢ならなくなり

放課後の帰り道Aさんに

「自分が私にしている無礼の自覚はあるのか?」と尋ねました







Aさんは

「自覚はあるけど、天澤には言いやすいから、つい言ってしまう」と答えました




私はAさんの兄弟でも親戚でもありません

卒業したら私たちは縁もゆかりも無い、タダの他人であること

お互いに会う努力をしなければ将来的には無縁になる事を伝えまし




しかし、

その後のAさんの態度は注意しても変わらず



卒業式が近付く頃 私は

Aさんと卒業後もプライベートで会う事は永遠に無い、と固く決意しました




残念ながら

その時の大学の他のクラスメイトのグループの友人達も

Aさんと似た様な侮蔑的な言葉を使う面々でした

私は『私を粗末に扱う人々とは卒業後には縁を切る』と

Aさんにのみ伝えました




そうして卒業後、

私は大学の友人達と一切の縁をバッサリと切り

学校外のプライベートな集まりに出る事の全てを止めました




卒業して暫くはクラスメイト達から遊びに行く等の誘いの連絡が有りましたが

私は断り続けました




そして、卒業して数年後に

私の父が病で他界し

その1〜2年後ほどのタイミングで



Aさんから結婚式の招待状が届きました📮👰🤵💒



父の他界から1か月後

まるで父の後を追うように

19年、傍に居て慈しんだ妹のような愛犬も虹の橋へと旅立ちました🌈🦮✨




遺された私たち家族は 今思うと

ほぼ、鬱状態となっていました




加えて

父と愛犬が旅立ったのは阪神大震災の わずか数年後だった事もあり、

高校時代の仲の良かったはずの友人達に

この辛さと寂しさを聞いてもらいたく願い

☎連絡を取りましたが

友人達は震災後の家屋の修繕費用など

(今なら解るのですが)

よほど金銭的に苦しい時だったのでしょうか…




高校の頃、よく連絡していたBさんからは電話越しに

「香典が欲しいのか?」と言う侮蔑的な言葉を投げられました




別の高校時代の親友Cさんからは、

Cさんのご両親の営む店が震災で全壊した事も有り、

ご両親が自宅を売却して新店舗の借金予算へと変えた時期でもあり

自宅が一部、損壊だけだった私とCさんとの間に生活格差が生まれてしまった事

Cさんからは大きな損壊が無かった私の家庭に対して

逆恨みに似た感情を向けられる事になっていきました



親友だったはずのCさんとの人間関係に

修復不可能な秋風が吹く予感がしました…




けれども父と愛犬を亡くした後

これ以上、親しい友人まで無くしたくはありませんでしたので

よほどの事が起こらない限り、

Cさんとの人間関係を我慢しようと考えていた矢先



遂に

私とCさんとの間に、決定的な亀裂が入る事件が起きました




父の初七日の日にCさんが私の陰口を言っていた事を

私はCさんの職場の友人Dから聞かされる事になりました

(※このCさんの友人Dと私は面識は無く

DはCさんから私の話を聞き、

私とCさんの高校時代の仲の良さを嫉妬し、Cさんを独占するため

悪意を持って私とCさんの仲を裂くため、向こうから告げ口しに来ました)




父の初七日の日に

高校時代の親友だと思っていたCさんから陰口を言われていた事は

激しい憤りと絶望感を私に与えました

毎日、喪失の悲しみの崖を覗きながら

かろうじて踏み止まっていた私の背を

不意に突き落とされる様な感覚になりました




この事が原因で

私の精神的疲労はピークとなってしまい

昼間、外を歩けない

人と話したくない状態となってしまいました




毎日〃が暗闇のトンネルの中に居るような光の見えない荒んだ日々は

五年間ほど続きました




そして震災から20数年後の今も

人の輪に入っていけないというトラウマが残りました



そんな まともではない精神状態でしたので人様の結婚式になど

出席が出来るはずもありません




当時は時代的に阪神・淡路大震災直後の復興のさなか

大学のメンバーも 高校の同級生達も ご両親が若く健在でしたので

誰からも苦しみを理解されず

父と愛犬を亡くした哀しみも、お悔やみの言葉すら掛けられず苦しい思いを抱えていました




結婚式に出席したら

大学のメンバー達や

Aさんに自分の弱った所を嗤われるだろうと思い

自分が弱っている姿は 絶対に見せたくありませんでしたので

Aさん達には「結婚式の日には旅行の予定が重なり、行けない」とだけ伝えました

そして、この行動が

この後、思いもかけない怪奇現象の引き金となるのです…




この頃の私の精神状態は正に地獄の暗黒期で

常にBさんとCさんへの怒りと憎悪で苦しみ藻搔いていました



【許せない】と言う声の第2の意味は、

当時、この二人への憎悪を生み出してしまった私自身の想念も在るのではないかと思いました

夢の中の大神神社の ご神職さんからのお招きを無視してはならない様な気がした

最大の理由は



私に生霊を飛ばして来た人物と、

私の中の BさんとCさんヘの憎悪

この2つは無関係では無い様な気がしました



人間、誰にでも人生の暗黒期は在ると思います

大人になって今、思うと

Bさん、Cさん、

Aさんと大学のメンバーと縁を切った事を 後悔していません

深い深い孤独は残りましたが

心を擦り減らして付き合う人々は、

友人ではないと思っています






この暗闇地獄の毎日だった頃のお話を

文章にして書き出せる事が出来ようとは…思いませんでした



重い重い心の澱を

固く固く握り締めていた掌を

自然と開くような

手放しの力と言うのかな…?🤔✨




本当に これは大神神社と美しい三輪山の持つ力と

夢の中の ご神職さんの優しさのお陰かもしれません✨🏔⛩️🐍🍶✨



今回は暗い時代のお話にお目を通して下さり

有り難うございます😊🙏✨

この後は【声】の心当たりの人物について

マッタリと続きます😅🙏✨