ブログを書こうと‥
あれよあれよと過ぎた
(はいはいいつもや)
相変わらず頭がとっ散らかってる
明け過ぎてしまいましたが
明けましておめでとうございます
色んなハプニングあり
おみくじもなんかフルボッコでツラ‥
オーブントースターが壊れたりなんて
そんなの序の口で
実は去年から
とんでもない大事件がわたしにふりかかっていて
そのことでしょぼくれて
毎日地味に胸がチクチク悩ましい‥
1人抱え込んで悶々してたりしていて
良くないなと
今年もここで吐き出したり
掘り下げた気持ちを書いていこうと思う
今回
わたしの人生の
大ピンチが訪れたんでは?と思ったと同時に
ピンチはチャンス!!と思った
そうなんだろうな〜
わたしにはきっと
この先とんでもなく大きなチャンスが待ってる
予感がする
プンプンにおう
人生無駄なことなんて本当無いと痛感してる
この思いっクソなピンチは
必ずわたしに
人生のいいお勉強代として巡り巡って
必ず返ってくると
言うなればブーメランの法則だな!!
なんていつもの根拠のない自信が在ったりする
ただ今は‥
盛大にしっかりと凹む大事な時間でもある
すぐに奮い立つ気力が無い
こんな自分も愛そう
本当
子ども達のことを考えると
なにかと足が竦む‥
そんな自分の不甲斐なさにまた呆れるループ
いつからこんな臆病者になったのか
わたしがわたしに一番ききたいわぃ!!!
そんな凹んで悶々としてる中
祖母の1周忌があって
〜おばぁちゃん‥どうせわたしもいつかは死ぬんだよね〜
と呟いたらハッとした
いつかは分からない
明日かもしれない
死ぬことは間違いないわけだ
わたしが幼少から変わらずもってたもの
〜いつ死んでもいいや!〜
という楽観的な想いが突き動かす
わたしの行動力
わたしのエネルギーの源
そうだ
たった一度のわたしの人生!
いつ終わるか分からないのに
やりたくないことやって
ウジウジしてたくない!!
いつもそう奮い立つのに!!
わたしをフリーズさせる
なにをするにも
踏み留まってしまう大切な存在
子ども達よ‥
子ども達を言い訳にしては
臆病者になってしまい
やたら守りに入っては
自分らしくいられない憤りを抱えて
もがいてを繰り返してきた子育て中のわたし
いい意味では抑止力になってくれた
今までのわたしを否定したいわけじゃないんだ
子ども達のことを想っても
勇気を出して離婚したこと
子ども達との今この生活は本当に本当に
かけがえのない時間で
幸せだと胸張って言える
ただ
母親としてのわたしではなく
もっともっとわたしらしく
幸せになっていいんだということ
その許可を母親というわたしが
出せていない!!!
ものすごいブロックを母親のわたしがわたしに出す
わたしは
子ども産んでから変わってしまった部分を
改めてきちんと自覚しなきゃと思った
今のわたしは
本当に
自分の人生を生きられていないと思う
そのとどの詰まりをスッキリ整理したい
な〜〜んでか〜〜??
ここをもっと掘り下げて掘り下げて‥だ
まず1つ目に
昔の破天荒な自分を
しっかり覗いてみることにした
そうだった‥
わたしは祖父母に親も親戚も頭をもたげる
オテンバ娘だった
さらに追い打ちで身体が弱く
すこぶる頭が悪かった
わたしが
まともに時計を読めるようになったのは6年生になってからで
左利きを無理矢理直されたせいか
文字を書くもの箸をもつのもトンチンカンになり
右と左が全然分からなかった
自動車学校で改めてビックリした
右折!左折!と言う言葉にパニックだった
小学生の頃
時計を見てもわからないから
日が沈むまで遊んでしまうし
誰かが送迎してくれるわけもない習い事は
時間通りには行けない帰れない
そこにきて変に頑固だから
行かないと言ったらテコでも動かない
言われたことや物事を
理解するのに人の倍時間がかかった
なんでこんなことも分からないの!!
分からないことが分からない‥
毎日毎日色んな人からダメ出しを食らう
学校では先生にあれもこれも怒られ過ぎて
全く勉強についていけなかった
とことん手のかかるアホな子ども時代だったわたしは
グレるという手段にでた
一度グレると周りの環境も変わり
グレてる自分を正当化するようになった
これはやったら大人に怒られると分かっていても
父親から鉄拳パンチ食らうと分かっていても
いつもやりたいことを
やろうとする自分を止められなかった
こうしたい!と思ったら
なんでもやってみないと
やらないと気が済まない性分だったから
なんでもやった
そんなわたしが
過去この世の中でこわいと思ってたのは
怒り狂ったときの親父くらいで
それをどう回避するかぐらいは考えてたけど
いつも後先考えず
特攻隊一番隊員みたいな生き方してた
(どんな表現やねん)
そんなオツムの弱いこのわたしが
我が子という
はじめて自分が守るべきものができて
そんな風に生きてたことが嘘のように
自分は母親だ!!
子どもにとっていい母親!
普通の人にならなくては!
なにがあってもわたしは死んじゃいけない!
どんなに辛いことがあっても苦しくても
わたしは!!
母親だから!!
我慢して
我慢して
生きなきゃいけないんだぁぁーーーー!!
この生き地獄を生き抜かなければ!!
みたいな笑
ものすごく
母親として生きることへのプレッシャーというか
強迫観念みたいなもので
わたしはさらにおかしくなってた気がする
本当今となって
あの頃の生きづらさの意味が腑に落ちた
類は友を呼ぶで
わたしの昔からの友達も
母親になってから悪い意味で変わった
過去の自分を否定して
いい母親になろう連合みたいになって
みんなで真面目になり過ぎていた
だから集まると
いかに真面目に母親をやってるか!!と
まるで自虐合戦みたいになってた
脱毛症になって‥
多分はじめてではないかな
こんなに自分と向き合う時間を
嫌というくらいつくったおかげで
色々目が覚めたというか
わたしらしさの意味がわかった
今こうして脱毛症が治ったのも
〜わたしの中で肩の力が抜けたこと〜
肩の力を抜くこと
それは
すごく大きなことなんだ!!と
今すごく胸を張って言える
精神的にも肉体的にも
肩の力が抜けたこと
頭に血が登り過ぎてたことも
肩の力を抜くとこで
正常になったんではないか??と
生きてると本当色んなことある
どれだけ悩んで苦しんで
のたうち回ろうと
なるようになるし
在るように在るし
独りで頑張り過ぎず
人にきちんと感謝し
人にちゃんと頼れるようになったら
人間関係も本当きれいになる
落ちるとこまで落ちていい
とことん落ち込んでぐた巻いて
泣いて泣いて泣き切ったら
大丈夫大丈夫!
ドンマイドンマイ!!
なんとかなるさ!!
命まではとられない!!
そぅ楽観的に解釈するようになったりする
一気にじゃなく
少しづつポジティブにシフトできるようになる
これってのも
そもそもわたしが元々持ってたもの
物事に慎重さもなく
失敗なんて恐れたこともなく
失敗した!
騙された!
という言葉を使うことなく
自分がやったことを全部自分で認めてきた
わたしが悪い
わたしが悪いと
それはいい意味で
人のせいにしないで
自分で尻拭い出来てたってこと
アホだからこそ
わからないことはなんでもすぐ人に聞ける
そこに羞恥心なんて無い
やりたいと思ったこと
手当たり次第なんでもとりあえずやってみる!
飽きたらすぐやめる
いちいち人の顔色なんか伺わない
嫌われることにもたいして動じない
そうゆう人も居るよな〜
色んな人が居るもんな〜
そうゆう部分でいえば
ミジンコみたいな器のちっせかったわたしは
さっさと親元を離れて
わたしなりに人に頼って
図々しく成長してきた気がする
そこにはやっぱり
人への感謝しかない
「ありがとう」って
本当大好きな言葉
アホで良かったなぁって思うこと
いっぱいあったし
今もアホで良かったと思う
周りの人に
いつも楽しそうだねって言ってもらえるのは
アホだからどんなことも笑っちゃう
自分のことをそぅ笑えるって最高
誰に一番会いたいか?って
昔のわたしに会いたい
あの頃の「なにも恐れない勇気」を
今のわたしにわけて!!
まだ3年も使ってないのに壊れたので
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