10月27日。

ほんとに小さい頃から仲よくてずっと一緒にいた叔母が亡くなった。

ウチの家族と叔母の家族とおじいちゃんおばあちゃんを労う為の旅行にいった4日後の朝なんの前触れもなく急死した。
まだ40半ばだし、家族皆がおじいちゃんおばあちゃんが元気なうちにと計画したのになぜ京子ちゃんが(叔母)と皆混乱し悲しみわけわからなくなった。

いつもメッセージをくれる人だった。
卒業、入学 二十歳 成人式、誕生日。

いつもいつもメールをくれていた。

ほんとに励まされていたし、当たり前にずっといてくれると思っていた。

姉である母もわれもわからずずっと泣いていた。

悲しみの中。日曜日に葬儀を終えて残された皆で叔母の自宅に帰りお骨の前でたくさん話した。

そこでは残された旦那さんや、僕も弟妹同然の子供たちの強さや悲しみそして決意も見えた。

僕はまだピンとこなかった。

というか情けない気持ちだった。

夢といっている格闘技だって仕事を理由に遠ざかり。

大切な人もほっぽり。

なんの為に生きてんのかと。

強く生きていくと決意した人達をみながら情けなくなった。

そんな今日の朝。

朝通勤途中のバイクでスピードを出して走っていて急ブレーキをかけ激しく事故った。

後輪が浮き宙に浮く感じがしてバイクが前転した。

気がついたら頭抱えて倒れていた。

助けにきてくれた人に起こされ痛い所はたくさんあるが頭は売ってない感じがした。

バイクのマフラーに羽がいっぱいついている。
よくみたら自分の着てたダウンの腕が溶けていた。

頭をかばって受身とったのは覚えていないけどとっさにしたのだろう。

でも頭をガードした腕がマフラーに溶かされたのは、もし腕でガードしてなかったらマフラーが顔に当たっていたのかもしれない。
そう思うとぞっとした。

結果大ケガはせずに済んだ。

というか死ななくてすんだ。

不思議とすぐに思ったのは叔母の事。
押し戻された?
生かされた?

守られた気がしました。


そして今思うことは必死に生きようということ。

夢もある、やりたい事がある。

叔母の分まで燃え尽きなきゃいけないのです。

大切な人がいる。
守っていきたいんです。

死にかけてよくわかった気がします。

今は耐えて、必ず叶えます。

折角生きてるから、一生懸命生きます。

今日はそんな不思議なことがあったので文にしました。

痛い左手と右足が生きてる感がする満員電車の京浜東北線です。




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