尚宮は、不在だった。
洪(ホン)尚膳に、
呼び出されているのかもしれない。
「もう、宮中にはいられないだろうな…。」
そもそもの目的だった
伊 秀滿(イ スマン)大監の情報収集に関しては、
噂話ばかりで、
確証と言えるようなものは、
何一つ得られていなかった。
ある日唐突に、
愛する両親と妹、
幸せに満ちていた生活を失った。
明月(ミョンウォル)の館では、
親切にしてもらったが、
自分は、守られるだけの立場だった。
でも、ここ王宮で、ジェジュンに出会った。
自分の命をかけてでも、守りたい と思える
そんな相手と巡り会えたのだ。
その存在を思うだけでも、
胸に温かい灯がともるような幸福感に浸れた。
本来の目的からはそれてしまった。
でも、ジェジュンに出会えた
そのことだけでも、
宮中で過ごした日々に、
後悔は無い と断言できる。
それなのに、
そのジェジュンと、
もう会えなくなるのか… と思うと、
胸が締めつけられるように苦しくなった。
だが、ジェジュンは、
次期国王になるお方なのだ。
両班だった昔なら、いざ知らず、
今の自分は、賎民に等しい身分。
出会えたことさえ、奇跡だったのだろう。
ほんの一時、道が交差しただけ。
別々の道を歩むのが、宿命なのだ
ユノは、必死に自分に言い聞かせた。
どんな処罰がくだされるかわからないが、
とりあえず、荷物をまとめておこうと思った。
もっとも、荷物と言えるようなものもない。
ただ、
生前、父から譲り受けた螺鈿細工の手鏡だけが、
ユノにとって特別で、大切なものだった。
血だらけの服を着替え、
居ずまいを正すと、
たたんだ衣類の下から、
ポジャギに丁寧に包んだ手鏡を取り出した。
鏡面を覗き込んでみる。
左頬に受けた傷は、
ジェジュンの寝室を退いた後、
若い内侍が手当をしてくれた。
「少し傷跡が残るかもしれません。」
その内侍は、気の毒そうに告げた。
だが今は、そんな傷より、
心の方がキリキリと痛んでいる。
哀しそうな自分の顔に、
「しっかりしろ!」と、カツをいれると、
再び手鏡を包み直し、
そっと懐にしまった。
いつでも、身につけておけるよう、
胸に内ポケットをつけたチョゴリは、
明月が、特別に仕立ててくれたものだ。
宮中を出て、
明月の館に戻るのも、気がひけた。
いつまでも甘えてばかりいられない
一人で食べていけるだけの仕事と、
寝ぐらを探さなければ…。
「大丈夫だ。なんとかなるさ。」
誰もいない部屋で、ひとりごちた。