とある日、歳を1つ重ねました☆
おありがとうござい~☆
(誰も何も言ってないけど、先走って(笑))

もう友達とかわすお祝いの言葉は
“健康で長生きしてね”
とか“
共に白髪のはえるまで遊ぼうね”
とか
“杖つくようになっても仲良くしてね”
です(笑)

信長の吟う“敦盛”の“人間五十年~下天の内を比ぶれば~夢幻の如くなり”
まだ少し先ですが(笑)
この“敦盛”の人間50年~を聞くと。
昔の人の一生涯が50年なら、現代かなり長生きできるということで、お誕生日でかけられる“おめでとう”の意味のなんと大きいことかと、思うのです☆
歳上のお友達や親へのお祝いはそういう本気の気持ちでお祝いしようクラッカー

けれどそれに近づきつつある自分の誕生日が来ると、祝われてとても嬉しいけれどいろいろ不安にかられる年齢でもあります。
これでいいのか?と(笑)
昨今流行りの“多様性”がこれまた自由過ぎて、私の落ち着く先が自分で見当たらない(笑)
価値観の押し付けや決めつけ、差別はキライですが、ある適度は1つの価値観や方向に向かって流される方が楽な気もします☆ 
それはまだマジョリティな考えなんだろうけど。

それもあって“この年齢の自分”というのをすごく考えてしまいます☆
とらわれているというのか。
いつから豹柄や躍動感あるチーターがプリントされているTシャツにゼブラのレギンスがいいと思えるようになるんだろう?とか(笑)
それは極端だけれど(笑)
余談ですが、通勤している人形町にはシニア向けのブティックがたくさんあって。
仕事帰りにチラッと見るのだけれど、私にはまだ早いデザインだったりするのです。
いつからそういう服を着たいと思うようになるのかなーと(笑)

毎日やることも考え方もあんまり進化がなくて、でも体は確実に老いているわけで、そのギャップに朝から考えてしまう今日この頃です☆