今日、ある議会の議員さんの議会質問を読んでいたら
「発達障害を早期に発見し、早期に療育を開始することで、より定型に近づけることができます」
なんていう趣旨のことが書いてあって、今だにそうなのだと、少しびっくりしてしまいました。
私の認識は、この議員とは違います。
療育の目的は、より定型に近づけることではなく、その子どもが、将来、より生きやすくすること、そのことに尽きると思っています。
発達障害の子どもが感じとっている世界と、そうでない子どもが感じとっている世界は、違うのです。
感じとっている世界が違うのに、その世界に対して定型発達の子どもと同じように反応するなんて、無理があるんです。
乳幼児、そして学童期は、その子どもが
「自分はこれでいいんだ。他の子とちょっと違うかもしれないけど、違ってもいいんだ。自分は自分でいいんだ。」
と感じられるようにしてあげることが一番大切だと、今は思っています。
療育は、環境をどのように整えるか調整すること、自分は自分でいい、と少しでも思えるようにすることが大切で、訓練が主目的ではないと思っています。
私は息子に
「自分はこれでいいんだ」
って思わせてあげることができなかった…
だから、息子は
「自分は人と違う。このままの自分はダメなんだ…」
と感じて、どんどん自分を責めてしまった。
本当に苦しかったと思う
私は、表向きは、息子の良さをわかって欲しい、なんて言いつつも、心の奥底では、将来自立するためになんとか定型に近づいてほしいと考えていた。
敏感な息子には、私が考えていることなんて百もお見通しだったのです。
先日、息子が小学校中学年の頃のビデオを見ました。
そこにはくったくなくゲラゲラ笑う息子、家の中をドタバタと走り回る息子、外で思いっきり体を動かす息子が映っていて、眩しいほどの生命力を感じました。
このまま育っていてくれていれば…などと、つい思ってしまいました
私も少しでも楽しく生きて、そのことで
「生きていくのも悪いことばかりじゃないな」
って、少しでも息子が感じてくれたらうれしい。
息子にも、少しでも楽しく感じられることがあったらと願っているのです。