ひきこもり★自閉症の息子とともに

ひきこもり★自閉症の息子とともに

2019年、年明け早々に不登校になった、19才で、自閉症スペクトラムの息子。
上に大学生、少し天然な娘。
いまだひきこもり続ける息子の様子を中心に、娘のことや私の仕事のこと、夫のことなどをつづっています。

今日、ある議会の議員さんの議会質問を読んでいたら
「発達障害を早期に発見し、早期に療育を開始することで、より定型に近づけることができます
なんていう趣旨のことが書いてあって、今だにそうなのだと、少しびっくりしてしまいました。


私の認識は、この議員とは違います。

療育の目的は、より定型に近づけることではなく、その子どもが、将来、より生きやすくすること、そのことに尽きると思っています。



発達障害の子どもが感じとっている世界と、そうでない子どもが感じとっている世界は、違うのです。


感じとっている世界が違うのに、その世界に対して定型発達の子どもと同じように反応するなんて、無理があるんです。



乳幼児、そして学童期は、その子どもが

「自分はこれでいいんだ。他の子とちょっと違うかもしれないけど、違ってもいいんだ。自分は自分でいいんだ。」

と感じられるようにしてあげることが一番大切だと、今は思っています。


療育は、環境をどのように整えるか調整すること、自分は自分でいい、と少しでも思えるようにすることが大切で、訓練が主目的ではないと思っています。




私は息子に

「自分はこれでいいんだ」

って思わせてあげることができなかった…


だから、息子は

「自分は人と違う。このままの自分はダメなんだ…泣くうさぎ

と感じて、どんどん自分を責めてしまった。

本当に苦しかったと思う泣くうさぎ



私は、表向きは、息子の良さをわかって欲しい、なんて言いつつも、心の奥底では、将来自立するためになんとか定型に近づいてほしいと考えていた。

敏感な息子には、私が考えていることなんて百もお見通しだったのです。




先日、息子が小学校中学年の頃のビデオを見ました。

そこにはくったくなくゲラゲラ笑う息子、家の中をドタバタと走り回る息子、外で思いっきり体を動かす息子が映っていて、眩しいほどの生命力を感じました。


このまま育っていてくれていれば…などと、つい思ってしまいました泣くうさぎ




私も少しでも楽しく生きて、そのことで

「生きていくのも悪いことばかりじゃないな」

って、少しでも息子が感じてくれたらうれしい。


息子にも、少しでも楽しく感じられることがあったらと願っているのです。

滋賀県東近江市の市長が

「文科省がフリースクールの存在を認めてしまったことに愕然としている。今の国の基本的な体質のおかしさの象徴的なものだ」

「無理して学校に行っている子に、「フリースクールがあるんだったらそっちの方に僕も行きたい」という雪崩現象がおこるんじゃないか、と非常に怖さを感じている」

「本当にこの国の根幹を崩してしまうことになりかねないくらいの危機感を持っている」

「不登校は親の責任」

などという、とんでも発言をしたことが話題になり、教育や行政機関から、次々と批判をあびています。

そしてこんなにも批判をあびているのに、発言の撤回はしないとのこと!ゲッソリ


この市長は、いったい何十年前の世界に生きているのでしょうか?


フリースクールへの雪崩現象が本当に起こるのだとしたら、それは学校の役割やあり方について考え直す必要があるということ。

そもそも、学校制度が崩壊することを恐れる前に、時代にそぐわなくなった制度を柔軟に変えていくことこそが行政の役割だろう。


国に役立つ人材を育てることが教育の主目的だった時代は、もうとっくに終わったのだ!

今は、一人ひとりの子どもがその能力をその子なりに伸ばしていけるような教育こそが必要とされているのだ!


その子なりの教育を受けられなくなっていることが、不登校の主な原因の一つなのではないか!


そんなことすら想像できないのか!


などと怒っていたら、この方は昭和26年生まれの、古い時代の警察官僚であることに気づきました。

警察官僚は国家権力を守ることが仕事だから、子どもを犠牲にすることさえいとわず、変革が必要とされる制度をもかたくなに守ろうとしてしまうのか、「国家の根幹を崩しかねない」とまで発言してしまうのか、などと妙に納得してしまったのでしたチーン


(最近、自分自身が変に物分りが良すぎて、逆に心配になってしまうのです…)


が、少なくともこの一連の発言に対しては、抗議の声を上げ続けよう、強く思ったのでありましたグー!

今日私が帰宅してすぐ、玄関のチャイムが鳴りました。
宅急便かな、と思いドアを少し開けると、そこには帽子をかぶってネックカバーをした怪しい男が!

(しまった!!)ガーン
慌ててドアを閉めようとしたのですが、男も負けじと開けようとします。


(あれっ?)

私は、その男が見慣れたハイネックの服を着ていることに、ようやく気づきました。


息子だった!びっくり


改めて見ると、帽子を目深にかぶりハイネックの服を鼻の上まで上げ、目だけを出しているという、いつも通りの異様ないでたち。

でも、ハァハァ息が上がっています。

あの息子が外を走ってきた??


キョロキョロ「どうしたの?走ってきた?」

真顔「あのねぇ・・・」

キョロキョロ「???」

真顔「えーと・・・」

キョロキョロ「???」

ニコ「あそこのねぇ・・・窓からねぇ・・・出てきたの」

キョロキョロ「???」

ニコ「一階の西の部屋の小さい窓から出て・・・南を回って・・・玄関まで来たの・・・きつかったよー!」


わが家はごく狭い一軒家。

周りを一周まわったとしても息が上がるような広さじゃない。

息子は全力疾走したのだろうか?



でも、達成感からなのか、息子の目はキラキラと輝いていていました。

こんな目を見たのは、何年ぶりだろう泣くうさぎ



ニコ「今度はね・・・えーと・・・あそこの小さい窓から出てみたいんだ!」

力強く言った息子。




息子はこの二年あまりの間、どんどんひきこもっていきました。


半袖を着なくなった。

半ズボンをはかなくなった。

首を隠すようになった。

外に出る時は、長靴をはくようになった。

お弁当を買いに行かなくなった。

自分で料理を作らなくなった。

病院に行けなくなった。

帽子をかぶるようになった。

スーパーに行かなくなった。

コンビニに行かなくなった。

一緒にご飯を食べなくなった。

言葉が出てこなくなった。

・・・・・


どんどんどんどん閉じこもっていく息子…

私の心も、どんどん重くなっていく。




19才の男子が、高さ、幅ともに40cmもない小さい窓から出てみたい、と言っている。

おかしいと思う気持ちもある。


でも息子が

「やってみたい!」

って言ったのは、何年ぶりだろう。

たまらなく嬉しかった。



一喜一憂するものじゃない、っていうのはわかってる。

でも、今日の息子の目を見て

「大丈夫」

って思えたこと、忘れないでおきたいと思います。

わが家の娘、今朝早くからアタフタとゼミ合宿に出かけていきました。



夕方私が帰宅すると、息子、心なしかくつろいでいる雰囲気を漂わせています。


いつもはリビングからかろうじて見えるキッチンの隅っこの方から、ソファに座る私に手を振ったりしているのですが、今日は違います。


うーん「いつもはねぇ、お姉ちゃんがいるからお姉ちゃんから見えないところにいるんだ…うんえー?


普段はわざわざ自分の部屋に運んで、息子一人で食べてる夕食。

今夜は二人で食べました泣くうさぎ


ハイネックをさらに上に引っ張って、やっこさんみたいになって隠していた首も、今日は見せてくれています。



わが家が息子にとって安心できる場所であるよう努力しているつもりではありましたが、結果としてはそうなっていなかったのだ、とつくづく思い知らされました。



娘には発達障害のこと、ひきこもりのこと、私なりに考えた息子がひきこもらざるを得なくなるまでの道のりについて、折りを見て伝えてきました。


多分ASDとADHDが混ざっているであろう私から見ても、娘にはASDの気があるように思います。何人か親しい友達もいるし、大学には楽しそうに通っているけれど。


だから娘は

ムキー(自分だって集団生活は苦手だけど、嫌なことがあっても耐えてる!弟だけずるい!)

ってなってしまう。

公立の中学時代が、とても辛かったようです泣くうさぎ


娘なりに努力して、息子のこと、理解しようとしてくれていているし、実際に息子に辛く当たることもまれになってきました。

でも、以前のように息子と接するのは、まだまだ難しいようです。





息子は過去にされた嫌なこと、辛かったことが、なかなか頭から離れません。

それがどんなに些細なことであっても。


ショック「自分でもそんなこといつまでも覚えてたら自分のためにならないってわかってるんだけど、忘れられないんだよね」


記憶が残ってしまうって、辛いよね泣くうさぎ



「忘れる」というのもヒトには必要な能力なのだと、つくづく感じています。


先日、夫と二泊三日で、温泉+山登りに行ってきました。

お天気にめぐまれ、素晴らしい景色と出会うことができましたニコニコ


立山雄山山頂からの眺め


室堂平



出発前、母と電話で話したときのことです。
今回の山行の予定について伝えたら


あんぐり「えっ?また行くの?こんなこと言ったらあなたに悪いからずっと言わなかったけど、子どもたち二人だけ残して大丈夫なの?あの二人の関係性から言って、もしぶつかったら、それこそ最悪の事態が起こるかもしれないわよ!」


あんぐり「私はとにかくあの子のことだけが心配なのよ。私はもう人生でやりたいことはやったし、満足もしてる。だから他のことは何にも心配してない。だけど、あの子のことだけが心配なのよ。」


と言われ、一瞬にしてモヤモヤ、ドヨーンとした気持ちになりましたショボーン


プンプン「最悪なことってなに?あの子がお姉ちゃんに暴力を振るうっていうこと?事件になるっていうこと?」


あんぐり「そうよ。あのくらいの年頃の子はね、何があるか分からないんだから!」



もう、話をするのが嫌になりました…



母は息子のことが心配だ、って言うけど、その言葉からは


あんぐり「あなたの対応なんて、信じられない。あの子のことも、信じられない。とても見てられないから私がなんとかしてやらないとだめね。」


あんぐり「今のあの子なんて、認められない。あれじゃあ、可哀想だわ。もっと外に出て、人とつきあったりしゃべったりできる人間にならないと。」


なんていう気持ちが、あからさまに伝わってきます。



プンプン「お母さんは、あの子や二人のことを心配する必要はないよ。心配するとしたら、それは私の仕事。」


って言いましたが、結局、母に変わってもらうのは無理なんですね。




こういうことがあるたびに、幼い頃の母とのできごとを思い出さずにいられないので、苦しいし、嫌なんです。


背中に蕁麻疹ができて、母に薬を塗ってもらうとき

あんぐり「気持ち悪い」

って言われたこと


一緒に寝ていた寝室でタバコをプカプカと吸うので、その匂いに頭が痛くなってしまったこと…




いいかげん、私は過去から解き放たれて、今を生きたいのです。