もう一つの例として、第二一番《ワルトシュタイン》のロンド楽章には、八小節間ペダルを踏続ける指示があります。

この部分の演奏について、ピアニストのアルトゥール・シュナーベルは、「ここでベートーヴェンは、トニカ(主和音)とドミナント(属和音)の一体化を望んでいる。次の基音が来るまで、基音が常に響いているようにすべきだ」と主張しついます。

次に、ペダル記号だけでなく、文字によるペダリングの指示にも注目しましょう。

ベートーヴェンは1818年、ピアノ・ソナタ第二九番《ハンマークラヴィーア》を作曲した頃に、ロンドン在住の知人達から、ロンドンのブロードウッド製の最新型のピアノをプレゼントされました。

イギリス式アクションによるこのピアノは、低音域を拡大して全六オクターブとなっており、ペダルは二種類ついていました。

ペダルについては、当時と現代とでは機構の違いがありますが、ここでは、現代のピアノでの演奏を前提に考えましょう。

この第二九番《ハンマークラヴィーア》の第三楽章には、ソフト・ペダル(弱音ペダル)を使わないところ(tutte Iecorde)と、ソフト・ペダルを踏むところ(una corda)とが、細かく指示されています。

さらに、ソフト・ペダルを数小節間ずっと踏む指示の例として、ピアノ・ソナタ第三一番第三楽章では、第一三一~一六八小節まで、ずっと「ウナ・コルダ」です。

その間、短調から長調への転調、反行フーガの出現など、重要な場面転換があるにもかかわらず、です。

しかし、ここでも、ベートーヴェンの何らかの意図を汲み取る試みをすべきでしょう。

例えば静かな感動の中での場面転換を、彼は望んだのかも知れません。

なお、これと同じような例ですが、ピアノ・ソナタ第二八番の緩徐楽章は、最初さらずっと「ウナ・コルダ」で続き、第二〇小節で「だんだんトレ・コルデする」という指示があります。

これは、ソフト・ペダルを徐々に離すという意味で、当時の楽器では機構的に可能でしたが、現代のピアノでは演奏で、つまり指で、これを表現しなければなりません。

ピアノは指と鍵盤とペダルで弾く、という常識は、20世紀に入って覆されました。

アメリカの作曲家ヘンリー・アウエル(1897~1965)は、手のひらや腕で鍵盤の広い範囲を弾く(というより押さえる)「トーン・クラスター」という奏法を考案しました。

これは彼がまだ15歳の頃だったそうです。

また彼は、ピアノの内部にまで目を向けて、内部に張られた弦を手で直接触り、はじいたり、叩いたり、爪でかき鳴らしたりすることも考え出しました。

これは「内部奏法」と呼ばれます。

この奏法をさらに発展させたのが、カウエルの弟子だったジョン・ケージが1940年頃に創案した「プリペアード・ピアノ」です。

これは、ピアノの内部の弦やハンマーに、消しゴムやボルトなど、様々な異物をはさみこんで、音を変質させたピアノのこと。

演奏する前に準備が必要なことから、「プリペアード」という言葉が使われたのです。

これによってピアノの音色やタッチが変わり、また、ピッチが変わって微分音が生じたりします。

弦に直接触れることで、ピアノの鍵盤上にはない音程、つまり半音よりも狭い音程(=微分音)を出すことができるのです。

ほかに、弦を打楽器の撥(ばち)で叩いたり、ピアノの胴体や屋根を手で叩く、などの奏法もあります。

また、譜面に指示された音の弦を手で押さえながら、もう一方の手でその音の鍵盤を叩いて、打楽器のような特殊な音を出すこともあります。

なお、これらの奏法については、ピアノを傷めることになるので、ホールからピアノの使用許可が出にくい、という問題があります。


指の動きやペダルに関して、テクニックの基本的なところはほとんど同じです。

大きな違いは、演奏そのものよりも、演奏が成立する前提と環境にあるといえるでしょう。

つまり、クラシック・ピアノは、楽譜があって成立するという大前提があり、譜面に忠実に弾くことが原則です。

それに対してジャズ・ピアノは、楽譜がなく(あったとしても細部の指示はさほど厳密ではありません)、自由な即興演奏が前提とされるスタイルであり、同じ曲でも演奏のつど、音やリズムなどに違いがあっても疑問は生じません。

環境については、クラシック・ピアノが、曲中の拍手がご法度なのはもちろん、咳払いさえもためらわれる静かなコンサートホールで演奏するために、一音一音を繊細に作り上げていくのに対し、ジャズ・ピアノの会場は、おしゃべりも途中の拍手もOK、場合によっては飲食もできる、くつろげる場所。

ですから、音量の調節は良い意味で大ざっぱでよく、ジャズ・ピアニストは、会場の雰囲気を盛り上げることにも力を入れます。

詳しくは後述で…