『最後の思い出に、ピアノを弾かせてほしい』

佐賀県鳥栖市には、地元の人なら誰でも知っているフッペル(ドイツ製)のグランドピアノがある。
80年前ほどに作られ、海を渡ってやって来たピアノだ。
大事そうに置かれたピアノの上には、白ユリの花束が捧げられていた。
鳥栖市(当時)の婦人会が、鳥栖小学校に立派なピアノを寄付した。
「子ども達に本物のいい音を聞かせたい」との思いから購入したのだ。
そのために婦人会が集めた金額は4500円。1930年(昭和5年)、当時としては驚くべき額で、家なら5軒は建てられるくらいに相当したのだとか。
周辺の学校にはせいぜいオルガンが置いてあるくらい。
ピアノなど夢の夢だった。
そんな時代に、ドイツから最高級のピアノを取り寄せ、市民が学校へ寄付するなんて、とても特別なこと。
まるで夢の中のお話のように。
さてそんな町に、映画『月光の夏』に描かれたようなひとつのドラマが起こる。
1945年、太平洋戦争末期の頃だった。
ある日、「最後の思い出に、ピアノを弾かせてほしい」と、2人の若者がやって来てそう申し出たのだ。
2人は、10キロほど離れた目達原飛行場の特攻隊員だった。
彼らは、戦争がなければ音楽を志そうとしていた若者だった。
2人は、一生分の思いを込めてベートーヴェンの<<月光>と軍歌<海ゆかば>を弾いたという。
そしてまた、線路伝いに飛行場へと戻っていった。
特攻隊として出撃するために…。
その話は広く語り継がれることもないまま、長く数人の教師の記憶の中だけにとどめられていた。
あまりに長く語られることがなかったため、悲しい時代を目にしたピアノが見た悲しい夢としかいいようのない、昔あったお話。

長崎本線の線路伝いに走った特攻隊員は、どんな景色を見ていたのだろう。
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鳥栖コンで優勝した人は記念コンサートで月光を弾くらしい…
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