ピアノを習う人にとっておなじみのバイエル。
そのバイエルの教則本を日本に持ち込んだのは、いつ、誰だったのだろう。
音階練習と指使い。
いかにもドイツ的な、きっちりとしたテキスト。
始めたのは、ドイツ人と言いたくなるが、実はこのバイエル、ドイツから日本に直輸入されたわけではないようだ。
アメリカ人のルーサー・ホワイティング・メイソン。
バイエルをもたらしたのは、この61歳の教育家だった。
彼は、西洋の文化、学問を取り入れようと文明開化に必死だった明治初期の日本に、欧米の先進技術や制度を伝えた「お雇い外国人」の一人だった。
1880年、メイソンは明治政府の招きで「音楽取調掛(おんがくとりしらべがかり)」『現在の東京芸術大学』に着任し、日本における西洋音楽教育の基礎を築くことになる。唱歌や器楽の指導、和声学、ピアノの調律、オルガンの製作・組み立てなど、わずか2年の滞在だったが彼の功績は大きかった。
さて、そんな彼がアメリカから持ってきたピアノの教科書が、その後ゆうに100年にわたって日本のピアノレッスンのスタンダードになるバイエルだった。
そしてもう一つは、ポルティモアのクナーベ製の85鍵の最新型アップライトピアノ。来日の際、明治政府は教育用に10台のスクエアピアノを購入したが、それとは別にメイソンが個人で弾くために持ってきたのだ。
私物であるため、運賃や関税などの諸費用40円余りはメイソン自身が負担した。
このピアノは、メイソンが離日する際、愛弟子であり通訳でもあった中村専氏に譲られた。
現在では当時のバイエルなど貴重なテキストと共に東京芸術大学の所蔵となっている。
1999年には、120年を経て痛みの激しいそのピアノに、大修復が施された。
メイソンが書き込んだと思われるチューニングピン上部の記号はそのまま残すなど、当時の姿を損なわないよう慎重かつ精密な作業を重ねて。
120年後の、バイエルで育った弟子たちの恩返しと言ったらいいかも知れない。
上から
ルーサー・ホワイティング・メイソン
英語版『バイエル』
ポルティモアのクナーベ製の85鍵



そのバイエルの教則本を日本に持ち込んだのは、いつ、誰だったのだろう。
音階練習と指使い。
いかにもドイツ的な、きっちりとしたテキスト。
始めたのは、ドイツ人と言いたくなるが、実はこのバイエル、ドイツから日本に直輸入されたわけではないようだ。
アメリカ人のルーサー・ホワイティング・メイソン。
バイエルをもたらしたのは、この61歳の教育家だった。
彼は、西洋の文化、学問を取り入れようと文明開化に必死だった明治初期の日本に、欧米の先進技術や制度を伝えた「お雇い外国人」の一人だった。
1880年、メイソンは明治政府の招きで「音楽取調掛(おんがくとりしらべがかり)」『現在の東京芸術大学』に着任し、日本における西洋音楽教育の基礎を築くことになる。唱歌や器楽の指導、和声学、ピアノの調律、オルガンの製作・組み立てなど、わずか2年の滞在だったが彼の功績は大きかった。
さて、そんな彼がアメリカから持ってきたピアノの教科書が、その後ゆうに100年にわたって日本のピアノレッスンのスタンダードになるバイエルだった。
そしてもう一つは、ポルティモアのクナーベ製の85鍵の最新型アップライトピアノ。来日の際、明治政府は教育用に10台のスクエアピアノを購入したが、それとは別にメイソンが個人で弾くために持ってきたのだ。
私物であるため、運賃や関税などの諸費用40円余りはメイソン自身が負担した。
このピアノは、メイソンが離日する際、愛弟子であり通訳でもあった中村専氏に譲られた。
現在では当時のバイエルなど貴重なテキストと共に東京芸術大学の所蔵となっている。
1999年には、120年を経て痛みの激しいそのピアノに、大修復が施された。
メイソンが書き込んだと思われるチューニングピン上部の記号はそのまま残すなど、当時の姿を損なわないよう慎重かつ精密な作業を重ねて。
120年後の、バイエルで育った弟子たちの恩返しと言ったらいいかも知れない。
上から
ルーサー・ホワイティング・メイソン
英語版『バイエル』
ポルティモアのクナーベ製の85鍵


