2019年4月  フランス夫と結婚式

2019年8月  卵管閉鎖の疑いで不妊治療開始

2019年9月  左乳がん再発が発覚&治療開始

2020年2月  妊娠発覚

2020年4月  自然流産

2020年6月  左乳房全摘&腋窩リンパ節郭清手術

2020年8,9月  受精卵凍結

2020年10月  抗がん剤治療(全8回)スタート

2021年3月  抗がん剤治療終了&ホルモン療法&放射線治療(全25回)スタート

2021年5月  放射線治療終了

2024年4月  ホルモン療法中止

 

乳がん分類:ルミナルB(ホルモン受容体陽性)

乳がんステージ:Ⅲc

 

 

ー現在、受精卵凍結4年目ー


 

 

 

 


 

母が、この世から去って一週間が過ぎて

 

 

 

私は、心の置き場も、整わないまま

乳がんの定期受診に行った。

 

 

 

 

主治医が

「久しぶりですね。元気してましたか?」

と、声をかけてくれたので

 

 


 

思わず

「先週、母が亡くなったんです。」

と、答えた。

 

 

 

主治医は「え?!なんで?!」

と、聞いてくれたので

 

 

 

今までの経緯を話した。

 

 

 

 

そして、主治医は私の話を聴いたあとに

 

 

 

「そっか~...実は、今日はお知らせがあって...

受精卵をそろそろ、胚移植(移植トライ)しますか?

と、聞きたくて...」

 

 

 

先生はばつが悪そうに話し始めた。

そして、

その話は、喜ぶ話ではなかった。

 

 

 

主治医は、研究結果で

乳がん罹患者が、ホルモン療法を中断して

妊娠、出産した場合の

乳がん再発率のデータを見せてくれて

 

 

 

データ結果は、

かなり高い確率で、

ホルモン療法を中断して妊娠して出産しても、

乳がん再発率には影響がない

という結果だった。

 

 

 

主治医は

「でも、これは

こずえさんには参考にはならないと思うんですよ...

ステージ0からⅡまでの人が対象だし

年齢も36歳までだし…

 

こずえさんが、今から胚移植となると

色々なリスクを考えなければいけません。」

 

 


 

「私は、ステージⅢcで、45歳ですもんね。

 

…でも逆に、今、トライしなければ

私は何年後とか、もう無理な気がしています。

 

自分の体力、気力が保たないんです。」

 

 

そう答えると

 

 

 

「そうなんですか…

 

ただ、ステージⅢの人がホルモン療法を中断して

妊娠をトライするということは

非常にリスクが高く

最悪、再発したり

こずえさん自体の命にも

影響があるかもしれません。


あと2年、ホルモン療法して

トライする事も出来なくはないと思うけど…


うーむ…難しいですね。

婦人科の先生の意見も聞いてみましょう。」

 

 

主治医はそう言い

 

 

すぐに同病院内の婦人科医に繋いでくれた。

 


 

婦人科の方では

乳腺外科とは見解が違く

 

 

「今、45歳で、出産時には46歳?!

 

普通でもハイリスクなのに

抗がん剤治療などもしたんですよね??

 

…薬物の影響も考えると

体内もダメージが大きいから、

早ければ早い方がいい!!!

 

例え、妊娠できたとしても

母体が耐えられるかが大問題ですから。」

 

 

 

そう言われて

色々な感情が出てきたけど

 


 

「じゃあ今すぐ、受精卵の胚移植に向けて

お願いします。」

と、答えた。

 

 

 

実際には、

もう少し安全性があって

望めるものだと思ったけど

 


 

母も手術後、急に

天国に逝ったのを

目の当たりにしたから…

先生たちから伝えられた意味は

深く理解した。

 

 


 

しかし、この頃

飲食店の運営に向けて

動き出したばかりで

 

 

 

万が一、

妊娠までたどり着いたとしても

飲食店オープンとかぶってしまうし

 

 

 

今でも

亡き母の代わりに

父の会社の手伝い

姉妹達で経営してる会社の切り盛り

 

 

 

そこに、自分の会社もプラスして

役所、行政、業者とのやり取りで

毎日、忙しいし

 

 

 

経営者として

「責任」ある立場で

妊娠中、様々なストレスから耐えられるか

 

 

 

万が一、出産できても

出産後、年齢、体力的にも、

すぐに、職場復帰は難しいだろうし

 

 

 

そして、何よりも

「45歳、乳がんステージⅢc」

 

 

 

という状況下で

妊娠トライする事で

再発防止として3年も続けてきた

ホルモン療法をやめるという決断を

していいのか…

 


 

 …リスクが多すぎる中

本当に、受精卵胚移植に向けて

進んでいいのか…

 

 

 

いつもなら、母に

気持ちを吐き出しながら

整理できていたけど

私のカウンセラーはもういない。

 

 

 

いくら、私の妊娠を待ち侘びてた

夫も、家族も

 

 

 

「…難しい選択すぎる。」

家族も意見が揺れ動き

その意見が、私自身を苦しめた。

 

 

 

皆んな、私の状況を聞けば

「赤ちゃんも大切だと思うけど

一番はこずえちゃんの命だよ。」

と、言われると思うし

 

 

 

私も大切な人が同じ状況なら

そんな風に思うだろう。

 

 

 

だから、あえて

私は誰の意見も聞かずに



「自分はどうしたいか」

自分の命の使い方について考えた。

 


 

夫もずっと、悩んでいて

二人の答えはなかなか出なかった。

 

 

 

そして、自分の気持ちとは裏腹に

まず、妊娠に耐えれる身体であるかどうか

 

 


全身検査がスタートした。

 

 

 

初っ端から

子宮の検査で「子宮頸部異形成」が見つかり

何度も病院に通い、経過観察、検査をした。

 



結果、

今は異形成の中でも軽度だから

妊娠を諦める要因にはならないとのことで

クリアした。

 

 

全身スキャン検査もした。

 

 

全身検査は3ヶ月間、何度も病院に通い

 


「再検査」の日々が続き、

心が落ち着かない日々が続いた。

 

 

そして判明した新たな、事実は

胸椎の骨に一部、

ほんの少しだけ、肉が食い込んでいるらしい。

 

 

これは、骨が弱くなってる影響らしく

 

 

「ま~、要は...老化です。苦笑

これが進むと、

よく老人がなる腰椎圧迫骨折とかですね。」

と、言われてしまった。w

 

 

きっと、ホルモン療法や治療の影響で

体内に影響が出てるとは思っていたから、

仕方がない。

 


 

今のところ、検査上

体内には「ガン」細胞は無し。

 


 

主治医曰はく、

直接、妊娠に向けて

妨げになる問題は、今の所ないとのことでクリア。

 

 


「受精卵胚移植の病院へ行ってください。」

と、GOサインが出た。

 

 

 

実は、そう言われる瞬間まで

どうすればいいか悩んでいたけど...

 

 

 

私が、主治医にそう言われて

自然に出た答えは

 

 

 

シンプルに

 


チャンスがあるなら、産みたい。

 

 

 

受精卵として凍結されてる卵を

一度、自分のお腹の中に入れて

温めてあげたい。

 

 

 

ここまでも4年という月日をかけて

何度も辛い経験をクリアしてきたのは

すべて「未来」のため。

 

 

 

だから、いくらハイリスクでも

ここまできたら

「破棄」することは、出来ない。

 

 

 

私が母から「命」を産んでもらったように

私も「命」のバトンをつなげたい。

 

 

 

私が母から「愛」を注いでもらったように

私もその「愛」をつなげたい。

 

 

 

7月初め、受精卵胚移植の病院へ

「不妊治療再開」の項目で受診し

 


 

現在、受精卵、胚移植に向けて進んでいる。

 

 

 

*****************

 

 

 

 

ボンジュール!アニョハセヨ―!こんにちは!ウインク飛び出すハート

 

 


 

お久しぶりです、こずえです。ニコニコ

皆様、いかがお過ごしですか?飛び出すハート

 

 

 

 

 

私の方は、

このブログのメインテーマでもある「高齢妊活」

いまは「高齢出産」に向けて

いよいよ、動き出しました。

 

 

 

 

ステージⅢcで、

妊娠をトライすること自体、リスク高いし

45歳で妊娠、46歳で出産することも、リスク高いし

先生たちからも、「ハイハイリスク」と

厳しいことも毎回、沢山、言われてるし

 

 

 

こんな状況で、皆様に

お伝えしたとしても

本当にどうなるか分からないから...

 

 

 

と、思い

誰にも言わなかったけど

 

 

 

やっと、胚移植まできたし

後は、どうなろうとも

受け入れられる自分の覚悟がついたので

 

 

 

とにかく、ベストを尽くしてみますっ!!!おーっ!飛び出すハート

 

 

 

母を亡くしてから、すぐに始まった

病院通いは

「一年分の涙を流した」と思うくらい位

悲しくて、痛くて、辛くて、緊張して、

怖くて、塞ぎ込む日々でした。

 



 

そんな中、全身検査のために

病院通いが数か月、続いた日々で

感じたことがあるんです。

 



ある朝(その日は、脳の再検査でした。)

不安な時期が続いていて

また、病院に向かっている時に



沢山の人々が

学校に、職場に

歩いて向かっているのを見て…



若くても、普通に見えても

全ての人が、砂時計の砂のように

平等に、時間が過ぎていってる。




この不安な時間さえも

砂のように、落ちていってて

もう返ってこない。




は!

じゃあ、この不安さえ楽しまないと!

自分の人生を振り返った時に

「つまらない本」にはしたくない。




そう思ったら

ふと、心が軽くなったんです。




私は絶対「楽しい本」作りするぞ、と。笑





そして、このブログをまた、書き始めようと

決意しました。ニコニコ



 

私のブログを読んでいただいてる方も

辛い治療中、不安な状況の方もいると思います。




そんな時こそ

視野を広げること

シェアすることが大事ですよね。




どんな状況だって

私達には心があって

心はいつだって自由に感じて、

つながることができます。




仲間は、いるぞー!!!!!飛び出すハート


 


では、私の方も

進展あればお知らせしますよ。




自由に、楽しく、突き進むゾー!口笛飛び出すハート





YouTube 始めました。

塞ぎ込む日々の中でも

負けずに編集していました。笑


良かったら、覗いてみてください。ニコニコ飛び出すハート




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飲食店開業までの道のり、発信中です。ニコニコ飛び出すハート

 

 


 

いつか、サバイバー仲間さんと

お会いできる日を楽しみに、お店作りしています。おねがい



 

 

 

(宮城県のプレゼンにて)



「ー最後に、

私は、乳がん罹患者、9年目です。


辛い治療の日々の中で

自分の命を、どう使い切りたいか、

真剣に考えました。


世界から見れば

私という存在は、米粒のように小さいけど


周りの人達を幸せにすることは

出来る。


未来に心をつなぐことは

出来る。


そう、答えがでました。


治療中の人も、外国人も、認知症の人も

色々な人が集まり、つながる、優しい空間を

作ります。」



こずえ




 

つづく。