2015年 左胸乳がんの告知を受け、遺伝子治療スタート。
2016年 遺伝子治療終了。乳がん治療終了。
2018年 10月 フランス人と国際結婚。
2019年 7月 卵管閉鎖発覚。自然妊娠諦める。
2019年 9月 体外受精準備時、左胸乳がん再発分かり、治療開始。腸内細菌服用。
2020年 2月 自然妊娠。
2020年 4月 稽留流産。
2020年6月9日 左乳房全摘、腋窩リンパ節切除手術。再建なし。



ー 現在、乳がん治療中ー





私が、入院初日、4人部屋に入るとすぐに窓際のベッドから




「あいや〜 若い子きた!3日間 一人で寂しかったよ〜!」




と、声をかけられた。





彼女は、石巻出身の38歳になったばかりの女の子。仮名:巻っ子ちゃん




「ガンの手術で入院したの?



大丈夫だ! 私は、子宮体がんで、12月に子宮も卵巣も全摘出して、ステージ4b だよ!


それでも、ピンピンしてっから!大丈夫だ!^ - ^」



ええええ! ステージ4b って、自分から言うのもすごいし、ステージ4には見えないし、ピンピン歩いてるし、すごいパワフルな人だ〜。





巻っ子ちゃんは、昨年、数ヶ月、不正出血が続いて、



地元の個人病院から、総合病院へ、調べてやっと見つかった子宮体がん。



緊急で、12月大学病院で手術したけど、その1ヶ月後、骨と首のリンパ節に転移。




治験の対象になって、大学病院で治療をしている。




「急に出血続いて、痛みもないのに、子宮体がんって言われて、ステージ4bだよ。

でもね、抗がん剤が効いてくれて、体内のガンの3分の1は、無くなったの! 

今回は、免疫力が落ちて、首のリンパが腫れて。熱出て抗生剤点滴のために入院してるんだ〜。


うちが石巻だからね、仙台からだと距離あるし入院した方が早いの。」




石巻は、宮城県でも海沿いで、高速使っても、仙台から車で1時間ちょっと。




石巻は、東北の湘南?と、いう感じかな。




巻っ子ちゃんは、海側の人らしく、サバサバしてて、明るい。





私は、手術の前日だったから硬直状態。笑




入院回数も多い 巻っ子ちゃんが、沢山、アドバイスをくれた。



まず



痛みは、術後がピークだから、絶対その後、日に日に回復することを信じること!



痛かったら、巻っ子ちゃんが助けてあげるから心配しないこと!



(なんと、巻っ子ちゃんも私も、介護職!)



あとは



ガンという病氣になっても、氣持ちは負けないこと!




。。。この人、凄すぎる。





私は、乳がん歴5年くらいで、ようやく手術を決意してここまできたのに。




巻っ子ちゃんは、昨年から症状出て、手術して、転移見つかって、抗がん剤治療してても、こんなにパワーが溢れてる。






巻っ子ちゃんは


「だって、仕方ないもの、なってしまったものは。


私は、石巻出身だから、津波も経験してるしね。」



と。



確かに、私達にとって東日本大震災は、まだまだ記憶に新しい出来事だ。




特に、海沿いの地域では、多くの命が津波によって奪われた。



「私の地域も津波にやられた んだ。


親友が、妊娠8ヶ月で双子を妊娠してたけど、津波にやられた。
車で見つかったんだ。



お腹大きくて、車で逃げようとして、逃げれなかったんだべな。




6歳の自分の娘も、娘を迎えに行ったおっぴいちゃん(ひいばあちゃん)も津波にやられた。




私は、迎えに行こうと思ったけど、もう向こうから、真っ暗い津波きてて、周りから『行くな!逃げろ!』と言われて、行けなかった。



2人は遺体で見つかったんだ。
おっぴいちゃん、最後まで手離さなかったんだな。
手、繋いで見つかったんだ。

4月からは、小学生でランドセルも準備してたんだ。」
















「かわいそ過ぎる。」






あまりの、衝撃的な事実に、言葉が出てこない。





かわいそう





なんて、言葉で片付けられないけど、
どんなに怖かったんだろう。



そして、平氣そうに話す彼女は、どんなに悲しかったんだろう。



もちろん、月日は流れても悲しみの傷は一生癒えないだろう。




巻っ子ちゃんは




「んだ。一生、この悲しみは消えないさ。



あの日、沢山の命が突然、失われた。




生きたくても、生きれなかった人が沢山いた。




だから、病氣なんかで、くよくよしてられないんだって。



生きたくても、生きれなかった人たちの分まで、私たちは生きなきゃ。」







うんうん。そうだね。





私は、巻っ子ちゃんの話を、
泣きながら、うんうん、と、頷くことが精一杯だった。






ずっと、自分と同じ状況のガン友が欲しかった。




だけど、そう思ってた自分が恥ずかしいくらい、壮絶な人生を送りながらも、こんなに強い人がいると知った。





巻っ子ちゃんの言葉が、手術前日の私に、力強く響いた。





「 病氣は、まだいいんだ〜。自分も周りもまだ時間あっから。


津波は、一瞬で沢山の命を奪った。


だから、あの日、生きたくても、生きれなかった人たちの分まで、私たちは精一杯、生きなきゃ

病氣に負けてらんねえ。」



ー巻っ子ちゃんー






つづく。