人生の転機~自発的仕事始め(^^♪ | 文筆家hideの徒然ブログ

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文筆家、そして経営学の大学教員として活動するhideが、日々の雑感を徒然なるままに綴る。
日々の取材のこと、出会った人々、世相・ライフスタイル、音楽、美術、読書、歴史、旅、そしてグルメなど。

人は生きている間に、何度か、大きな「転機」を迎えるものだチョキ



そのサイクルを巡っては、いろいろな意見・考え方があると思うけれども、私の場合は、はっきりと12年周期になっているメラメラ



それが今年クラッカー



今から12年前(2003年)、離婚が確定し、そして、不治の難病パーキンソン病を発症した母親と同居する覚悟を決めたドンッ


実際の離婚手続きと母親との同居(=介護と看病)開始は、翌年春で、以来、昨年9月の母の急死まで10年半、その生活は続いたガーンあせる




さらに、その12年前(1991年)と言えば、私が脱サラをして、文筆家として、処女作を主婦の友社から出版し(3月)、それが契機になって、テレビ朝日の情報番組のコメンテータなどを務めた年だアップ


それ以降、単行本を7冊刊行する機会に恵まれ、さらには新聞や雑誌で連載を担当させてもらうなど、文筆家としての人生が現在に至るまで続いている走る人




そこから遡ること更に12年(1979年)は・・・・

国家公務員を定年退職していた父親が、「武士の商法」で商売に手を出して大失敗をやらかし、しかも原因不明の病に倒れて、たちまち我が家の生活は困窮DASH!

私立大学に通っていた私は、家計を助ける必要から退学ダウン



しかし、何のスキルもなく、また、あまり健康でない私が家計を支えるのは困難を極め、状況を打開するには、ブランド力をつけて、単価の高い効率的なアルバイトを掛け持ちして不眠不休で稼ぐしかないと決意ビックリマーク

それで、働きながら受験勉強して東京大学を受験し、合格したのが、1979年3月だった合格



それから卒業するまで、キャンパスに顔を出す機会は、週に1~2回で、友だちもできず、ましてや、彼女もできず、アルバイトに集中する日々が続いた爆弾

そして、それ以降も、父が死んだ後までも、父の負債と格闘して生きる日々が続くことにしょぼん

その間、縁あって結婚したけれども、この経済問題が原因で離婚となり、最終的に経済問題に決着がつくまでに、実に25年を要した・・・




こうやって、少し思い起こしてみても、ちょうど12年周期で、3つの大きな「転機」に遭遇してきたことがわかる!!



では、今年は!?



昨年9月の思いがけない母の急死は、母が自分の命に代えて、私に「自分の人生」を歩む時間を与えてくれたのだと思うことにした私にとって、今年は、疑う余地もなく、これからの日々を方向付ける決定的な年だクラッカー



そういう覚悟を決めたのは、去年の秋以降なのだけれども、決意を固めることで、仕事関係において、突然大きな環境変化が生じるのだから、世の中、不思議なものだと思うニコニコ



ある芸術団体から、理事・芸術監督就任の打診を頂き、年末ギリギリに内定したドキドキ



今年の春(4月)以降は、これが私にとって、一番大きな仕事になると思うアップ



大学の教員は続けるけれども、文筆家としての活動は、芸術とか表現に関するものがメインになる見通しだクラッカー



年齢から考えても、今春から始まる仕事が、私の人生における仕事上の「代表作」になるべきだし、実際、そうなるはずだビックリマーク



という訳で、きょうはまだ正月2日だけれども、自発的に「仕事始め」にして、新しい仕事の準備を始めているという状況グッド!



自分に向いている分野だと思うし、これこそが、私の魂の希求する方向性だと思うので、のびのびと、楽しみながらやってゆこうと思うヾ(@^▽^@)ノ音譜