最近は、新たな事件発覚もなく、沈静化しているかに見える食品関係の「偽装」「改竄」ですが、そう言えば、先日、あの船場吉兆の残飯使い回し事件について、思いがけない「意見」に接し、いろいろと考えさせられました![]()
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それは要するに、日本の「接待文化」の在り方に関する問題提起でもあります。
どういうことかと言うと・・・・・![]()
私なども、たまにお供として、高級な料理屋さんでの商談とか打ち合わせに同席することがありますヽ(゚◇゚ )ノ。
そういう場では、お店の人は、とびきり良い食材を仕入れることができているときは、うれしそうに、それを使った料理を勧めてくださいます
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接待する側は、「じゃあ、それを!」という訳で、注文します。
料理人が最高の食材を使い、そして腕によりをかけた渾身の料理がずらりとテーブルに並び、接待される側は、恐縮しながら、それをいただき、商談・打ち合わせが進行することになりますよね![]()
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しかし、私が同席させていただいたそうした席では、接待する方も、される方も、喋ることやお酒を呑むことに夢中で、かなりの料理を食べ残すんですよね![]()
。(もちろん、世の中には、そうでない方々もいらっしゃることとは思いますが・・・・)
しかも、手をつけない皿が多いんです
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食い意地の張った私などは、「わ~、食材や料理に申し訳ないなぁ・・・・!」という想いで打ち合わせどころではありません(笑)
私が特に印象に残っているのは、お皿を下げにきたお店の人の反応です
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「あっ・・・・!!」っていう一瞬こわばったような表情が見え、次の瞬間には、無表情に戻って、ろくに手をつけていない素晴らしい料理の数々を下げていきました。
私は、自分で毎日料理をするようになって、自分の意識が変わったと思うのですが、食べるってことは、他の生き物の命をいただくってことだと強く意識するようになりました。
だから、買った食材はとにかくムダなく使い切る努力をしますし、作った料理は、相当まずい料理に仕上がっても、頑張って食べ切るようにしていますヽ(゚◇゚ )ノ。
そうしたお店の人って、当然のことながら、私なんかよりもはるかに強烈に、そういう想いを抱いていらっしゃるんですね。
だから、素晴らしい食材を使った腕によりをかけた料理を、楽しんで味わってほしい(→結果として残さず食べ切ってほしい)と思うわけです。
ところが、店側の想いとは裏腹に、ごっそりと残して、手をつけていないものも多いという現実
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料理がまずいから・・・というのなら話はわかるけど、そうではなくて、単に話に夢中で食べなかっただけ・・・・あるいは、食べることそのものにはそもそも興味がない・・・・
それに対しては、当然、別の意見があります。
「お店のお客さんは、非常に高いお金を払っているんだから、それを食べようが残そうがお客さんの勝手である。むしろ、そういう席で商談や打ち合わせをすることで、それが成功するなら、接待する側にとっても、される側にとっても、そして店側にとっても良いことではないか!」という意見です。
一応もっともな意見です(^_-)☆。
しかし、なんとなく釈然としないというか、違和感を覚えると言うお店の人もいるようです。
要するに、「有名料亭や有名割烹で商談・打ち合わせをする」というのが、接待する側にとっても、される側にとっても重要なポイントなのであって、そこでどんな料理が出されたか、とか、その料理に、お店のどんな想いが込められていたか、という点が完全に欠落してしまっているケースがとても多いということなのです。
もちろん、だからと言って、「どうせ食べないんだから残飯を使い回ししてよい」という理屈は絶対に成立しません。
それをしたら、もはや、飲食店としての自己否定です。
ただ、店側の想いと、客側の打算とかが、しばしば乖離している日本の接待文化の現実があって、そのギャップへの違和感が、一部の店の心の隙間に、「残飯使い回し」という発想を生じさせたのではないか・・・・・ということなのです。
食べることは他の生き物の命をいただくこと・・・・・そういう、日本古来の思想にもとづき、日々、食材を大切にしているのは、むしろ、一般庶民なのかもしれませんね:*:・( ̄∀ ̄)・:*:。
「接待文化」の主役の方々、それは多くの場合、日本の支配階級の方々なわけですが、そうした方々が先頭に立って、日本の伝統的な価値観に立ち返るならば、日本もずいぶんと良い国になると思うのですが、それはムリなことなのでしょうか?