演出の「迷走」・・・「再生」への動きも! | 文筆家hideの徒然ブログ

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ハンス・ノイエンフェルスが演出を手がけたオペレッタ「こうもり」を観ましたビックリマーク


2001年夏、ザルツブルクで収録したものですが、演出というものについて色々と考えさせられました(  ̄っ ̄)。


「こうもり」は、19世紀のウィーンの社交界を舞台にした、ある夫婦を中心としたドタバタ喜歌劇で、音楽は、ワルツ王ヨハン・シュトラウスが書いたものです音譜


しかし、今回観た「こうもり」は、序曲の演奏中に、コウモリの羽をつけた男が舞台上に現れ、動物の着ぐるみをきた男と性行為を始めたり・・・・嫌な予感が・・・・!あせる


幕が上がると、その予感はいともあっさりと的中(笑)ガーン


原作とは無関係なセリフや動作がむやみに多く、しかも、その多くは下半身絡み・・・・それも変態性欲系で・・・さらには、ドラッグや暴力が加わり、ゾンビが現れ、ワルツを踊るシーンではヒップホップを思わせる踊りになり・・・・「共産主義者!」「原理主義者!」といった言葉が飛び交い・・・・なんじゃ、こりゃ~?(((( ;°Д°))))ドンッ


こうした演出上の「迷走」への理由づけが必要だと考えたのか、セリフの中に、「現代人は、みんな神経がイカレかけている・・・・」というのを入れて、だから、みんな変態性欲やドラッグや暴力に走っているのだと・・・・と主張しているように感じられましたしょぼんダウン


19世紀に書かれた「こうもり」という作品に込められた想いとは、本来、そういうメッセージだったのでしょうか?


オペラであれオペレッタであれ、時代を風刺したり批判したりするファクターを内在しているのは事実ですから、上記の「主張」を認めたとしましょう。


だったら、指揮者もオーケストラも、歌手も、そうしたコンセプトに沿った人たちを集め、そうしたコンセプトで演奏させるのが筋ですよね(笑)


もし、クラシック音楽という範疇で、そうした人材をまかない切れないのであれば、他の芸術分野の人を混ぜれば良いわけですし。。。


ところが面白いことに、ピット内のオーケストラの演奏も、舞台上で歌う歌手たちのアリアも、19世紀のまんまの、いたってオーソドックスなもので、演出と演奏は、完全に股裂き状態なのです( ̄□ ̄;)。


指揮者のマルク・ミンコフスキは、作曲当時の時代様式を何よりも大切にする人ですし、オーケストラも、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団なのですから、ノイエンフェルスの演出意図とは、まったく噛み合わないのです( ̄□ ̄;)!!。


カーテンコール時に、ブラヴォーとブーイングで場内が騒然としたのは言うまでもありません(この舞台の演出をめぐっては、後日、訴訟に発展したそうです)。



オペラ・オペレッタに限ったことではありませんが、18世紀とか19世紀とかに書かれた作品を、現代において舞台にかける、というのは、非常に難しいのは事実だと思います。

18~19世紀に書かれたという「歴史性」から逃れることは決してできない訳ですし、しかし、今の時代に、わざわざ舞台にかける以上は、現代人が必然性を感じるような「現代性(同時代性)」も要求されることになるからです。


しかし、優れた作品には、「歴史性」のヴェールの下に、「時代を超えて人々に訴求し得る普遍性」が必ず隠れていますよね(^_^)vビックリマーク


指揮者であれ、演出家であれ、その公演をリードする立場にある人たちは、その隠れた「普遍性」を、いかに現代的なセンスで掴み出して、観客や聴衆に提示できるかが問われていると言ってよいと思います。


しかし、そのためには、きわめて傑出した才能が必要です。


なかなかできることではないのでしょう!


そこで登場したのが、上記のような「読み替え」演出なのだと私は思っています。


演奏自体は、18世紀とか19世紀のまま・・・・・・でも、舞台上の演出だけは「現代」に移し変えるという・・・・・


19世紀の貴族社会の色恋が現代の石油化学コンビナートの作業員の色恋に移し変えられたり、古代ゲルマンの神話がナチスドイツやアラブゲリラや宇宙戦争の話に移し変えられたり・・・でも、演奏や歌自体は、いたってオーソドックスという矛盾は未解決のまま∑ヾ( ̄0 ̄;ノ。



そんな、現代における舞台上演をめぐる憂慮すべき状況に危機感を覚え、立ち上がった人々も一部に存在しますアップ


クラシックの殿堂・ウィーン国立歌劇場の総監督ホーレンダー氏です。


作曲家が意図した世界観が見えなくなっている現状を変えるために、作品が本来もっているメッセージを正しく読み取った演出と、そのメッセージを、伝統的演奏様式に立脚しながらも現代的センスで再現できる指揮者・演奏家によって、作品を上演しようと考えたのですクラッカー


流石は、クラシック本流の「伝統」の守護者としての、自らの「ミッション」への責任感が感じられる姿勢ですね合格


選ばれた作品は、ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」。

指揮者は、ドイツに数十年ぶりに現れた逸材のクリスチャン・ティーレマン氏。

第一幕への前奏曲が、慌てて駆け出すような演奏になったり、歌手が不揃いだったり、演奏上の多少の疵はありましたが、それでも、全体としては、現代の人々が観ても、十分に納得し、満足できるステージになっていましたラブラブ


昔、歌をやっていた老母が、珍しく食い入るように画面を見つめ、拍手喝さいしている姿も印象的でしたが(笑)


個人的な感想としては、作品は違うにしても、1994年のクライバー指揮による「薔薇の騎士」の稀に見る完成度とは比較にならないレベルだと感じたりもするんですが、なにしろ、上記のような憂慮すべき業界事情を思えば、今回、これだけの公演を実現させるのは、おそらく並大抵の苦労ではなかったのだろうと思いますにひひ


道程は険しく遠いでしょうが、これを「第一歩」として、オペラ・オペレッタの世界が、より魅力的なカタチで、現代の人々に愛好されるようになると良いなあ・・・と思うことしきりですヽ(゜▽、゜)ノ