知られざる在宅介護の実態 | 文筆家hideの徒然ブログ

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文筆家、そして経営学の大学教員として活動するhideが、日々の雑感を徒然なるままに綴る。
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我が家では、私が離婚したあと、唯一の身寄りである母親が、不治の難病に侵され、本人のたっての希望もあって、私が引き取り、その後、現在にいたるまで私がひとりで在宅介護をしています。

ヘルパーさんや理学療法士さんや担当医などが毎日入れ替わり立ち替わり来宅しますが、それぞれ短時間なので、毎日の生活は、結局、私が面倒を見ることになります。

始めてから、すでに5年以上になりますが、自分が経験することによって、在宅介護の世界には、世間には知られていない様々な問題があることが、身に沁みてわかるようになりました。

よく、介護している人の方が先に亡くなるというケースが、ニュースで流されますよね。

キャスターは、決まり文句のように、「介護疲れ」と表現します。

それは、一般の人々に対して、介護そのものに伴う肉体的・精神的な疲労困憊を想像させますよね。

たしかに、それは大きなファクターです。

でも、全体の3分の1くらいなんです、実は・・・・・

じゃあ、残りの3分の2は?

その第1は、世間の無理解・無関心ないしは、偏見や差別です。

世の中の支配的な立場の人々は、その経済力で、年老いた両親を施設に入れて、自分たちの生活をそれまで通りに維持しているケースが大部分です。

それのみならず、それをしないで在宅介護などという酔狂なマネをしている人を軽蔑する場合が多いんです。

在宅介護で仕事が制限される私の姿を見て、「あいつは介護を言い訳にしているが、単に怠け者だから、家から出てこないんだ!」という陰口を、これまで一体、何回耳にしたことでしょう。

あるいは、「人間、みんな、それぞれいろんな事情を抱えて生きているんだ。それでも、そんなことを口に出さず、一生懸命仕事しているのに、アイツは何なんだ!」と何度言われたことでしょう。

そう言われるということは、私の社会的信用が地に堕ちることに他なりません。

当然、仕事面での発展の可能性は大幅に下がります。


第2は、営利主義的な介護業者との戦いです。

介護事業を行っている会社には、きわめて献身的で素晴らしいところが存在する一方、あくまでも営利を追求し、多少の不正は、平気でやってしまうようなところも残念ながら存在します。

個々のヘルパーさんがどんなに一生懸命でも、会社としての姿勢は、別に存在するものです。

こっちの知らないうちに勝手に契約内容をより高額なものへと変更し、こちらが異変に気づいて抗議したものの、結局、その新しい高額な契約での請求書が届いたりします。
しかも、その間に、同社内の文書は、すべて、こちらが何ヶ月も前から、そういう変更に同意していたかのように、改竄されているので、問題として表に出ることもないようになっています。

結局、在宅介護に従事している家族は、社会において孤立無援ということになります。

介護自体の疲労困憊+社会的差別・疎外+業者との戦いによって、将来への希望をいっさい絶たれた中で、自らも病んでゆくことになり、時として、自分の方が先に死ぬ、という事態にもなるわけです。

日本は間違いなく、高齢化社会から高齢社会に向かうというのに、そして、そうなれば、私のような在宅介護に従事する人の数も自ずから激増することが明らかだというのに、こんな有様で、いったい、大丈夫なんでしょうか?

日本では政権交代が行われ、「友愛政治」が行われるそうですが、この在宅介護が議題になっているという話を、私は寡聞にして聞いておりません。

「友愛」をもってしても、やはり、介護の問題は無視され続けるのでしょうか?

それとも、単に私が知らないだけで、実は、抜本的な対応策が考えられているのでしょうか?

しかし、それがどっちであれ、今の私にはあまり関係ありません。

今日も明日もあさっても、まったなしの介護生活を続けるだけのことです。

さて、もう6時ですが、スーパーに夕食の材料の買出しに行ってきまーす!!