昨日は大叔母さんの命日。
そして8年前の今日は実母の命日でした。
……でも、私が母の死去を知ったのはその年のお盆でした。
私の両親は私が小学1年生の時に離婚しました。
数字だけで見れば私と母が過ごした年月は6年。
けれど私が5歳になる前から別居してたので体感的にはもっと短かったな。
別居中、私は父の家と母の家を行ったり来たりしていました。
でも小さい頃って大体ママっ子だから、母の家に泊まっていることのほうが多かったかな。
だけどいずれ父に引き取られることは決まっていたし私も幼心に分かっていました。
母が別居中住んでいた家を離れることになった日のことは未だに忘れていません。
台風の強風が吹きつける8月31日、父の家で過ごしていたら電話が鳴りました。
「ママもうお金がなくなっちゃったから引っ越すね。もうベアノがわからないところに行くよ。会えないよ。バイバイ」
みたいなことを言ってた記憶があります。
でもね、私は泣きませんでした。
泣かなかった理由は「引っ越すとは言っても同じ都道府県内にはいるから」でした。
「だったらまたいつかどこかで会えそうじゃん」とか思ってたから。
強いというか、変わってるというかw
んで実際翌年に父と買い物していて赤信号で停まったら隣の車線に母がいて再会しました。
「ほらねやっぱり」とか思ってた。
その次に再会したのはその4年後、よく行くジャ〇コの階段で。
で、その3年後には地元の夏祭りに母が来ているところを父が目撃してました。
私はその夏祭りで吹奏楽部としてステージに立ってたので全然気付きませんでしたが、父が私に見せるためなのか母の後ろ姿を盗撮していて(おい)
その写真を見たので間接的な再会ではありましたね。
けれどその後会うこともなければ近況を聞くこともなく、8年が経ちました。
で、確か2017年(の11月だったかな)に、実家の近所に住んでる方から連絡が来て。
「あなたのお母さんが末期のすい臓がんで入院してるみたいだよ」って急に知らされました。
すぐに父と一緒に会いに行ったのですが、その時はちょうど一時的に退院していたので会えませんでした。
そこから数ヶ月が経ち、2018年3月17日。
再び入院したらしい母と再会を果たしました。
血管の中に管を通して、血液の代わりに腹水を循環させてるとか言ってたかな。
その手術が本当に痛かったけど病院には本当に良くしてもらってるし、もうとっくに死んでてもおかしくないのにだいぶ持ってるほうだよって言ってました。
その6日後には亡くなってしまいましたがね。
最後に会ったその日、私と父と母は限られた時間ではありますが3人でゆっくり話しました。
母は「病気になってから懺悔の日々だ」と言ってました。
捻くれてしまった私は「病気になってなかったら懺悔してなかったのかな」なんて思ってしまったけど、その後に母が私に向かって言った「離れてから1日たりともあなたを忘れることはなかったよ」という言葉を聞き、全てを許そうと思いました。
いや、その言葉だって信じてないですよ、だって私も思い出さない日なんて全然あったもん。
むしろ思い出さない日のほうが多かったかもしれない。
でも5歳そこらの私に「お母さんって呼ばないで」なんて言っていた人が、たとえ嘘でもそんなことを言えるようになったんだ、みたいな意味の感動があって。
だから許そうって思いました。
最初で最後の団欒でした。
これは母はもちろん、昨日の記事に書いた大叔母さんにも言えることなのですが
お彼岸に亡くなるのには
「私を忘れないでほしい」
という意味がある
みたいな話を耳にしたことがあります。
その話聞いて大叔母さんと母の顔を思い浮かべた時、あ~なんか分かるってなった。
大叔母さんは長い間1人ぼっちで寂しかったんだろうし
母だってお腹を痛めて産んだ子を手放す運命になんて本来なりたくなかったよね
って思って。
もうほんと、言ってやりたいよね。
忘れないよ
忘れるわけないじゃん
ってね。
色んな意味で。