皆さんお久しぶりです。たまにとんきちです(^_^)v



病気の治療や薬のせいで体重が17キロ落ちてカッコいいかもしれないとんきちになっています(^_^)v(笑)



なかなかすぐに良くなる病気でもなくて気長に治療してゆきたいと思います(^_^)v
皆さんの励ましが一番の薬かもしれませんね。皆さん本当にありがとうございます(#^.^#)



さて、なかなかブログネタもないので前回に引き続き、とんきちの好きな歴史上の偉人の話でもしようかと思います。



今、大河ドラマ『どうする家康』でムロツヨシ演じる豊臣秀吉が日本統一して海外制服をしようとしているあたりだと思います。豊臣秀吉は日本統一してから中国の明を制服しようとしてました。



そこで中国の明を制服するために先ずは朝鮮を侵略します。この朝鮮を侵略したことを『文禄・慶長の役』と呼んでいます。西暦1592年から1598年豊臣秀吉が亡くなるまで続いた戦争です。



この『文禄・慶長の役』を実質朝鮮・明国連合軍を勝利へと導いたのがドラマや映画にもなった韓国の英雄『李舜臣イ・スンシン』です。イスンシンは水軍の大将軍です。



開戦当初は日本の脇坂安治や加藤清正や小西行長などが怒涛の如く攻め込み逃げる朝鮮国王を平壌まで追い込みますが、民衆の蜂起やイスンシンの水軍が日本軍の補給路を断ちギリギリで日本を撤退させます。



英雄、李舜臣イ・スンシン(1545~1598)は朝鮮の地方出身の普通の軍人だったのですが、彼は欲が無く民を大切にする軍人で、日本軍が朝鮮侵略するのをいち早くキャッチして水軍の強化を朝廷に進言して実際侵略が始まると将軍にまで出世してゆきます。



英雄イスンシンは軍律にはとても厳しいのですが、軍律軍事以外の時は兵士たちにはとても優しく自分の将軍としての給金をすべて酒や肉に換えて兵士たちに与えていました。



また軍営には兵士や戦地から逃げてきた民たちもたくさんいたので常時食料不足でした。食料不足を解消するために兵士も民も皆で開墾するわけです。将軍イスンシンも自ら鍬を持ち畑を耕します。食事も民と同じ菜っ葉の味噌汁です。



このような将軍イスンシンを兵士も民も心から敬い慕ってゆきます。イスンシンの噂はもちろん朝廷の国王の耳にも届きます。本来ならば将軍イスンシンに褒美でも与えるものですが、国王は将軍イスンシンに対して嫉妬と猜疑心を抱き、何だかんだとなんくせつけて謀反の罪を着せて酷い拷問をして将軍を解任してしまいます。



当時、将軍イスンシンの立ち位置は、日本の豊臣秀吉や徳川家康と同等に見られていて、将軍イスンシンがいるお陰で朝鮮国はギリギリ持ちこたえている状況でした。



その将軍イスンシンを朝鮮国王は嫉妬により謀反の罪を着せて酷い拷問をして解任してしまいます……もちろんそれを知った日本軍は好機到来とばかりに朝鮮水軍を攻めてほぼ壊滅してしまいます……



風前の灯となった朝鮮国王はイスンシンに泣きながら謝り朝鮮を救うためにまた戦ってくれとお願いします。謀反の罪を着せられ酷い拷問を受けたら普通は断るのですが、将軍イスンシンは祖国と民たちを救うためにまた立ち上がります。



何百艘もあった軍船も残り12艘しかなくなり、もはや朝鮮国も滅亡かと思われた時、将軍イスンシンは残った12艘の軍船と最後の奇跡の戦へと向かいます。日本水軍200艘以上、将軍イスンシン率いる朝鮮水軍12艘の最後の奇跡の戦い。気になる方はこちらのドラマと映画をどうぞ(^_^)v





ドラマ『不滅の李舜臣』(けっこう長い)





映画『バトルオーシャン海上決戦』



祖国と民たちの平和のために、自分の国の国王と、豊臣秀吉率いる日本の武将たちと戦い続けた孤高の英雄『李舜臣イ・スンシン』こんな人間に少しでもなれたらなあ……。



ちなみに英雄『李舜臣』ととんきち



同じ誕生日4月28日でしたー(≧▽≦)(笑)



だからなに?とは言わないで(≧▽≦)(笑)




そんな感じ(^_^)v