皆さんこんにちは。たまにとんきちです(^-^)v


上の写真は今日の津軽の空です。久しぶりに晴れてます。明日からまた寒波がやってきます。たぶん大雪の年末年始になりそうです(^_^;)
皆さんも雪には十分気を付けて下さいね(^-^)v
今日は嵐の前の静けさか……(^_^;)





コロナコロナで大変な日本ですが、実は今から1300年前の奈良時代にも疫病が日本中に蔓延して未曾有の大危機に陥ったようです。
今回のシリーズ『あなたの万葉集』第……何回目だっけ?(笑)は万葉集に納められてる疫病に関する歌を紹介したいと思います。



先ず、奈良時代の疫病とは天然痘のことです。
天平7年西暦735年太宰府の近郊で初めて天然痘が発症したようです。当時の太宰府は外国との交易が盛んで、唐から天然痘が持ち込まれたという説があります。



天然痘は感染力が非常に強く致死率が50%を越えていたといいます。翌年の736年には平城京にも天然痘が蔓延したようで、今のコロナと同じくらいのスピードで拡大したようです。



736年は都から遣新羅大使(けんしらぎたいし)が新羅に派遣されたのですが、大使隊はすでに天然痘に罹患していた者がいて、新羅に渡る手前の壱岐(長崎県)で亡くなる者が出てきました。その時詠まれた歌を2首紹介します。本当はもっとたくさんあります。



世間は常かくのみと別れぬる
君にやもとな我が恋ひ行かむ

よのなかは つねかくのみと わかれぬる
きみにやもとな あがこひゆかむ

作、詠み人知らず(巻15・3690)


訳、世の中はいつもこんな風に別れがくるものか。いなくなった君に儚く思いを負いながら、私は旅を続けなければならないのか。



天然痘に感染して倒れたいった仲間たちの死を見送りながら、いつ自分たちが天然痘に感染するかわからない恐怖を抱えながら新羅に向かって旅を続けた大使隊が、現代のコロナと闘っている人達と重なってしまいます。



もう1首



黄葉の散りなむ山に宿りぬる
君を待つらむ人し悲しも

もみちばの ちりなむやまに やどりぬる
きみをまつらむ ひとしかなしも

作、葛井子老(ふじいのむらじおゆ)
(巻15・3693)


訳、黄葉が散ってしまう山に葬られてしまった君を待っている御家族のことを思うと、哀れでなりません。



天平8年西暦736年に新羅に遣わされた遣新羅使たちの中のひとり、雪宅麻呂(ゆきのやかまろ)が壱岐の島で天然痘で亡くなり、彼の死を悼み詠んだ歌です。
おそらく、壱岐の島でかなりの数の遣新羅使が亡くなったのだと思います。



天然痘は1980年に撲滅したとされています。日本では撲滅までに約1250年かかかったことになります。
万葉集を詠むと1300年前の奈良時代の天然痘に翻弄される朝廷の姿と現代のコロナに翻弄される国の姿が重なって見えてしまいます。



奈良時代の天然痘と闘ったリーダーが聖武天皇でした。聖武天皇は天然痘に打ち克つために様々な政策を打ち出してゆきます。当時は医療も薬も無いので大仏を造ったり、税の軽減などをしました。あまりにも死人が出て農民が激減したために米が不足して大飢饉となりそしてまた疫病が流行り死人が増えるの無限地獄となりました。それでも何とか乗り越えてきた先人の知恵に今のコロナを乗り越えるヒントがあるような気がしてなりません。



来年はコロナが収まりまたいつもの暮らしに戻ることを心から願います(^-^)v







人の世はまさかまさかの坂ばかり
明日は我が身か情けの心

とんきち短歌



皆さんも万葉集詠んでみませんか(^-^)v




そんな感じ(^-^)v