四つの言葉唱えて

それについてのお話し

四つの言葉唱えているときの意識

四つの言葉についてたくさん投稿させて頂きました。
で、四つの言葉の唱えるときの意識

四つの言葉唱えていると、何かの問題が解決するとか唱えていれば良くなる
とかの思いが強くなってしまうと
四つの言葉そのものに依存してしまう
これ、マインドの罠なんですよ。

四つの言葉唱えるにも二つのパターン
が、あります。

1.何にも思わず願わずただ、ただ、
感謝なる意識で毎日歯や顔を洗うように
習慣性で唱える。

2.唱えれば必ず良くなる、回避できる
での心で願いで唱える。

この二つのパターン

で、気をつけないといけないのは
もちろん2.にあげたこと。

何かを望んだり、思ったりして唱えると
四つの言葉そのものがマインドの波になってしまうと言うこと、
これ、マインドさんの餌食になります。

つまり、依存性

わたしもうたってきました。

四つの言葉を唱えていると必ず悪玉マインドが流れていくと…

でも、もう一つ言いました。

唱える時は良くなるとか叶うとかの思いは一切捨てて唱える、感謝の意識でただ、ただ唱えること。と、
伝えてきました。

そう、大切なポイントは
何も考えず思わず願わず
唱えるということなのです、

で、ないと、四つの言葉唱えるそのものが不なるマインドの波そのものになってしまいます。

そして、マインドのお遊び道具になってしまう。

するとね、毎日唱えているのに良くならない変わらないじゃない。

すると、そんなことが起きると余計に悪玉マインド更に強く働き、そして、
囚われてしまう。

なぜ、叡智なる意識にはマインドが
一切無い、無縁、

ただ、ただ、慈愛、奉仕のみ、感謝のみの意識しか無いのです。

マインドが少しでも入るとます、
四つの言葉の波は変革し純粋な波が
マインドの我欲としての波に変化してしまいます。

すると波の共鳴は起きません。

マインドの波が起きてしまう。

例えば何かに気づいた。木々と話しができるようになった。

水と会話共鳴できた。

はい、その時はその時とても素晴らしいことなのです。

でもね、それをいつまでもその気づきに
固定観念を抱き執着していくと、それは
マインドに囚われてしまいます。

すると、どうなる?
その先、いつかまた、それより何か大きな気づきや体感が起きるのにそれがそのときに気づいたことの固定化、執着によりそれが邪魔をして新たなる新鮮な気づきが入って来れなくなる。

だからこそ、その瞬間はその瞬間だけのことで後は流す。
すると、固定化せず流すことで新たなる流れがやってくる。

これは良いこと、悪いこと、両方に言えることなのです。

つまり、すべてを固定化させないように
すべてを流す。

四つの言葉唱えるもそういうことなのです。

願わない、思わない、依存しない
ただ、ただ、感謝なる意識で唱える
楽しく笑いながら

少しでも思いが入るとその四つの言葉そのものがマインドの言葉波になってしまいます。

マインドの入っていない純粋な波
その四つの言葉唱え方は

願わない、望まない、依存しない

ただ、ただ、感謝なる意識のみで唱える

すると、必ずやある瞬間奇跡が起きる
助けられる。

なぜ?

叡智なる意識は自分がこうなりたい、ああなりたい、病を克服したい
の、思いは全て見通しているのです。
見通している叡智にマインド働かせて願うとその叡智なるサポートに壁を作ってしまいます。
なぜなら叡智にはマインドがありません。だからそのマインドの思いが叡智の波を阻んでしまうのです。

例えるならば
綺麗な純粋な水に色を混ぜてしまう。
と、いうことになります。

四つの言葉唱えるには二つのパターン

1.マインドで唱えている

2.無心で唱えている

この二つ

ですから四つ葉言葉唱えるには
2.の無心で、ただ、ただ、感謝なるのみの意識で唱えてください。

願わない、思わない、依存しない

すると、必ずあることが起きます。

素晴らしいことが

それを体感するのはあなた次第です。

全てを流す、良きも悪気も流す

そして観察

マインドを観察する。マインドの働きを
感じ観察、そして、流す。

と、いうことになります。

悪玉マインドはいつでも湧き出しやってきます。繰り返し、繰り返し、

その都度流す、観察する

四つの言葉が、習慣づくとその思いを流し易くなってきます。

振り回されないようになってきます。

お試しを

ありがとうございました。
次回は
大難が、小難、小難が、無難

の働きを起こす四つの言葉

について、シェアさせていただきます。
長文にて既読
ありがとうございました。🙇‍♂️🙏🤗⭐️⭐️⭐️💕