高校時代は一番の友達が死んだ。今は私は50代だから、なんとなくあと30年は生きるかなと感じているし、彼女も生きるものだと思っていた。
彼女からはいつも「今年こそは会いましょう」とあったのだが、本年に限り「お互い良い年になるとよいですね」とあり、いつもと違うと少し気になったのを覚えている。
訃報は知り合いからで、私はその時八ヶ岳にいた。聞いたあとは夕飯の続きをして、子どもと満天の星を見た。そして寝かせたあと、私はいつまでも泣いた。
たまたまラインが繋がった人がいて、このこと
話すと電話をくれた。死んだ彼女を知らない人だし、電話で話したことはなかった間柄だったが、ずいぶん救われた。ソーシャルワーカーでもないのに、こうしたことができる人なのだ。
死んだ彼女は子宮体がんで、発見後1年と少しで天に召されたときいた。忙しくしていたから受診が遅れたのだろうか。
私には高校時代は強い部活とクラスを中心とした普段の学校生活とがあって、後者にはいつも死んだ彼女がいた。つまり私の高校時代は部活と彼女が2本立てで、私は青春の片方の羽を失ってしまった。
体育の着替えが寒くてノロノロしていたこと、そして先生に校庭もう一周走れと言われたこと、2人で食べた学校近くのラーメン、英語のグラマーをサボったこと、美味しかった学食のバン、彼女は覚えていたかなあ。
会いたいと思ったら、さっさと会わないとだめだ。私だって生きている以上、いつどうなるかわからはないのだから。
残された配偶者の方に、また逆縁となられた彼女のお母様に神の御加護がありますことを祈る。
私も百年の孤独となった。
