今回は、治療の続きを書こうと思います。
陽子線治療31回
局所総線量55.8GyE
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陽子線前の緊急措置の放射線
5回 総線量10Gy
2月19日~4月1日まで土日祝日を除いて毎日通院しました。
血球が低いときはドクターカーに乗り、安定しているときはタクシーで。
陽子線は容赦なく毎日治療があるため、一時退院も金曜午後にして、日曜には再入院という形をとっていました。
当時は、もっと我が家にいたいよね・・・と悔やみましたが、今思えばドクターの方々の陽子線治療の判断のお陰で
今があると思っています。ですがこの時期の一時退院はキツかった・・・(家から病院まで片道1時間半ほどかかるため)
抗がん剤治療との併用でしたが、幸いひどい副作用も起きず無事に終わることが出来ました。
また、看護師さんや技師さんに大変お世話になり、陽子線最後の日は泣きました
先進医療にも感謝しつつ効果のある治療をして頂いて本当に良かったです。
陽子線治療が終わったらあとはひたすら化学療法。
ICE療法→VDC療法、IE療法。
化学療法は続けていくうちに、だいたいのサイクルやパターンも分かってきましたが、
みんなそうですが簡単な事ではなく・・・食欲減退、貧血、血小板の低下、白血球の減少の末、
骨髄抑制中は輸血の嵐・・・
ですが、献血してくださった皆様の力で命を繋ぐことが出来ました。
今まで献血は一度しか経験が無く、これからは息子に頂いた分お返ししていきたいと思っています。
化学療法を続けていくうちに、右目の視力は回復しないままですが左目は以前の視力までほぼ戻り
腫瘍がみるみる小さくなっていき、ドクターからも「ほぼ寛解状態です。」とのお言葉を頂きました。
それが4月の中旬あたり・・・。
外科受診時、「手術で取るモノがない、ダメ押しの化学療法で終わりかな??」←あくまで外科医の意見。
この時の私達家族、嬉しくて号泣。そして一般人の考えは・・・
ほぼ寛解状態、手術の必要なし。
こんなのってこんな幸せって
もしかしてダメ押しの化学療法数回で退院!?
何もわからないって恐ろしいですよね。
この後、ドクター達に呼ばれて治療が確立していないため、
・あと約6クールの終わりが分からない化学療法をやるか。
・大量化学療法+自家造血幹細胞移植を行い治療終了とするか。
告知の時の衝撃が蘇る・・・移植とは?大量化学療法とは?
もう退院が近いんじゃないんですか?
はっきり言って崖から突き落とされたような感覚、衝撃。
次は、私達家族が選択した治療について書きたいと思います。
最後まで目を通して頂きありがとうございました
続く・・・