セカンド・オピニオンでお世話になった心療内科の先生は、スーパーマリオに出てくるルイージによく似ていたえー

物腰柔らかく、否定もせず、心配事や不安をゆっくりと聞いてくれた。
前のクリニックで大量に出されていた薬は半分以下まで整理してくださり、体調も落ち着いてきた。

ただし内服を初めてから、記憶力の低下が著しくなった。メモがかかせなくなった。スケジュール帳はメモでギッシリだった。

ドクター・ルイージに通院するようになり、職場復帰をしたような気がする。
実家に戻り別居していたため、職場までは片道45分。もともと運転が好きな私は全く問題ないとと思っていた。
子供達が赤ちゃんの時、体調を崩し、実家に預けていた時は、片道1時間の道のりを通っていた。

しかーしえーえーえー
ちょこちょこと車をあちこちにぶつけるようになった。
睡眠不足や薬の影響もあったのだと思う。
極力、運転は避けるように言われていた。
と言われても、こちらは車がなければどこにも行けないえーえーえー

カーブで縁石に乗り上げ、一応車から降りてみたものの、なんとか帰れるかと思って運転していた。父親に怒られるなと思いながら重い気持ちだったショボーンショボーンショボーン

私を追い越していった車が随分前に止まって、私の車を止めた。なんで止められたか分からず、正直怖かったのだが、降りないとダメそうな雰囲気だったので降りた。

おじちゃん
『姉ちゃん、大丈夫か?このタイヤのまま走っちゃダメだよ!危ない!もう少しで外れそうだ!』

親切に教えてくれた。
そこから車屋に電話をし、そこまで車を持っていくことにした。当時お世話になっていた車屋さんは地元で、私と息子さんの年が近かったこともあり、大変良くしてくれた。

『親父には黙っておくから。ちょっと調子悪くて預けてきたと言え。どこが悪いって聞くごったが、詳しく分からないから俺に聞けって言っていいから。お金はあとから分割でいいからな。』

と言ってくれた。
ありがたかった。

それから何度も小さい事故を繰り返した。
注意力不足と集中力低下。

初めて薬を飲み始めた8月頃は、毎年体調が悪くなる。
薬を飲み始めた時期はみんなそうだと教えて貰った。

別居してからずっと離婚を考えていた。

父も母ももう見ていられないと、離婚に賛同してくれた。

1年ちょっとたった頃、離婚したいと申し出た。

予想通り拒否された。世間体が理由だった。

ここからまた、長い話し合いになる。
結果を先に言うと、離婚が成立するまでに話し合った期間は3年ちょっとであった。