育児は相変わらず私ひとりで行うことがふつうだったが、産後3ヶ月から保育園が決まり、職場復帰した。
一人でいると私も倅もダメになると思った。

職場復帰し精神的に安定し、やはり仕事大好き人間だと自覚した。

保育園に預かってもらっているため、病気の流行は次々貰ってきた。

風邪をひいても何しても、直ぐに耳にも炎症が起こり、小児科と耳鼻科を行ったり来たり。
体調が悪い時は倅を実家に預けて仕事へ。

その中で水ぼうそうを貰ってきた倅。
水ぼうそうは可哀想なくらいブツブツが沢山でたが、薬も効いて、実家の愛情と栄養をぬくぬく受けて、いつも経過は良好だった。中耳炎が合併してちょっと大変だったけど。

そろそろ保育園に行けるという週末、🐯実家に用事があり。途中でグラグラと世界が回り、変だなぁと思っていたら、腹部にブツブツを見つけた。
とても嫌な予感真顔真顔真顔
私、風疹以外、こういう疾患の予防接種を何ひとつ受けていないことが妊娠後に発覚。

とりあえず市内の皮膚科を受診した。

あれ月さん。僕分かりますか?

とお医者さん。
当時の職場に週何回か来ていた先生だった。

はい、入院しましょう。水ぼうそうです。
チーンチーンチーン

義実家の傍に入院しても休まることがないのは嫌なほど分かり、何とか居住区の病院へ紹介状を書いてもらった。
熱40度超…

とにかく寒いので、高速で向かってくれるように🐯にお願いしたのだが、そんなに急ぐ必要がないと言われ、何故か遠回りしドライブがてら行こうぜと🐯、🐯母、🐯兄。

もう何も言うことをやめ、とにかくなにかを被って寒さを凌ぎ、県立病院へ。
水ぼうそうは個室でなければならない説明を受ける。当然である。が、そこにイチャモンを付けて揉める家族真顔真顔真顔

見かねた先生が私を診察室に戻してくれた。
いつもあんな感じなの?大変だね…。
と声をかけてくださる、お偉い先生に頭を下げたまでは記憶があるが、そのあと診察室で倒れたらしく、気がついたら個室で点滴を打っていた。

入院に必要な荷物を準備して来いと言われ、戻ったは良いが、その後なかなか帰ってこない🐯。
ボーっとする中、iモード時代のメールを送ると、みんなでご飯を食べていること、直ぐに行くつもりはないことと返信が来た。

点滴の様子を見に来た看護師さんに伝え、パジャマを借り、毛布と湯たんぽを沢山追加してもらい寒さと頭痛に耐えた。

そこから4日程、熱は下がらなかった。
毎日実家の母が見舞いに来てくれた。
倅は🐯母が私達のアパートに泊まり面倒を見ているとのこと。
倅に会えなくて寂しかった。

大人になってから水ぼうそうや麻疹になると本当に危ない。
当時、麻疹になったママが脳炎で亡くなった…。

麻疹の抗体もなかったため、水ぼうそうが完治してからワクチン接種することになった。