merrowのブログ

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母親は根っからの嘘つきでした。更にわたしが小学校3年生で父と離婚するまで、沢山の間男たちがいつも母親の周りにおり、時には母の友達として、時には母の弟として、様々な男が家に出入りしていたし、母が私と姉を連れて出かける時は常に男がいた。

「今日はこの人をパパと呼びなさい」

「今日はこの人がぱぱだよ」

一度は母の友達の結婚相手をパパと呼ばされたときもあった。

そんなときしか母はわたしや姉を連れて出かけることなんてなかった。家に三人でいても、母は寝てるか機嫌が悪いかで、幼かったわたしたち姉妹も出かける時は男がいるのは当たり前だった。そしてパパと呼ぶことで機嫌良くなる男を見て、母な機嫌がよかったし、とても女を演じていた。とても違和感だったし、実の父親を裏切っている気がして悲しかった。

旅館にいくと、わたしか姉がその偽パパとお風呂に入らなければならなかった。わたしは絶対嫌だったし、そんな妹をかばってか、いつも自然と姉が男湯へ行っていた。そして間男たちはわたしたち姉妹に、実の父親がいることさえ知らない様子だった。空気を読み取り、その嘘に黙って合わせないと、帰ってからの怒号が凄かったから、言い様のない悔しさや叫んでしまいたくなりそうな気持ちをギュッとしまいこんで、母親の嘘にあわせ、母を喜ばせるツールに徹した幼き時代。家に帰れば父親が待ってる。父親を悲しませないように、ここでもまた嘘をつかなければならなかった。

離婚後、わたしたち姉妹は父に引き取られる。父は嘘が大嫌いな超真面目人間だった。そしてとても狭い自分の常識に、わたしたちを当てはめて育てられた。説教時間が半端なく長く、時に鉄拳制裁も凄かった。そんな父はいつも疲弊していた。母親が残した多額の借金と二人の子ども。真面目にコツコツ返しながら育ててくれた。苦労を知っているからどんな狭い世界観で怒られても、反撃する前に罪悪感が勝っていて、自分の言い分はあるけど、刺激しないよう、可哀想な思いをさせないようにいつも父の求める言葉を話したし、狭い世界観での窮屈な父の説教には飽き飽きしていたけど、求められる言葉を話さないと怒るから、自分の本音を話すなんて、そもそも本音を掘り出すなんて時間も余裕もなかった。嘘をつくことでしか、わたしは生き方を知らなかった。

本来のわたしはとても自由で、縛られるのがとても苦手な人間だ。団地の敷地内しか自転車にのってはいけないと教えられていて、同じ団地のお兄ちゃんたちについて敷地外を自転車で走れた時のわくわくした気持ちは今でも覚えている。とても楽しかった。自由だと感じた。だから見つかると怒られるわけで、わたしの性格を父は許さなかった。姉は比較的父よりの性格だから、叱られることは少なかった。

わたしはやることなすことをとにかく危なっかしいと決めつけられたし、だから姉はよくてもわたしはダメ。でも姉よりもわたしのほうが冒険心が旺盛で、わたしは怒られてもやりたかった。だけど結局怒られる。わたしのやりたいを叶えるためには嘘が必須だった。やりたいことにはとても忠実だったし、やりたくないことにもまた、忠実なわたしだった。

わたしの自由は否定され続け、いつでも相手を喜ばせるためのツールか、怒らせないための武器として、嘘を求められる幼少期。

いつしかその嘘は否定され続け、信頼を失い、敬遠されるものだと知った。だけどわたしにはわからなかった。それ以外の生き方を知らなかったから。


一つだけほしい望みがある。幼い頃のわたしを知る人に、幼い頃のわたしはどんな子だったのかを聞きたい。幼い頃の、ありのままのわたしはどんな子だったのか、誰かのために生きていないわたしはどんな子だったのか。それを知っててくれる人がいるって、凄く財産だなと気付く。わたしは嘘で自分を守り、生かせたけど、また、同時に嘘で沢山の人を傷つけ、遠ざけてしまった。幼い頃を話せる人がいることは財産だな、と改めて失った時間と存在の大きさを知りました。