イタリアの大聖堂に落書きをした学生が謝罪しに行って、寛大な歓迎を受け、そのまま平和大使のようなものになってしまった。


日本人は本当に素晴らしい、イタリア国民も見習うべきだ、というような雰囲気になっているが、そんな褒められるような事ではないと思う。


中学までは義務教育という恵まれた環境の日本で育ち、更に多額の学費を親に払ってもらって大学まで進んだ彼女たち。


更に若い学生のうちに海外へ行くという貴重な経験までしている。


貧しくて学校へ行けない為読み書きすら出来ず、自分の住む町から出た事もなく、ただ生きる為だけに手段を選ばず必死になっている多くの貧しい国々の人に比べれば、日本人は、よっぽど教養やモラルがあって然るべきだ。


小さな子供がクレヨンを手に、家の壁に落書きをするのとはわけが違うのだ。


大学まで行った者が、建物に落書きをした。


海外だとか、歴史や文化を知らないとか、そこまでのことですらない。


小さな子供が教わる事。


『落書きをしてはいけません。』





それと。


『人のものを取ってはいけません。』


『人の嫌がる事をしてはいけません。』


これも小さなうちに教わる事です。


マンネリや倦怠期はあるでしょう。


ストレスを発散したい時もあるでしょう。


寂しくて仕方ない時もあるでしょう。


刺激やスリルを味わいたい人もいるでしょう。


でも…


だからといって、自分の事を大切に思ってくれる人を、裏切ったり、傷つけたりする事は、してはいけない事です。


大事な人がいる人は、理性を持って、モラルを持って、その人を失わないようにしなければなりません。


浮気や不倫が当たり前の世の中は、冷たすぎます。


大事なものを大事にする心、相手の気持ちを察する思いやり、そういうものが欠けて、自分だけ良ければいいという人が、あまりに多すぎます。


最近のニュースはほとんどがそうです。


自分の人生を嘆き他人を巻き添えにした秋葉原の事件。


消費者を無視、軽視して私腹を肥やす偽装ばかりの商売。


純粋に夢と志を持って頑張る者を、身内びいきの為にふるい落とす身勝手な教育者たち。




もっと、ちゃんとしようよ。


ダメな事はダメだよ。


何でもいいよ、いいよって言うのが『寛大』とか『オトナ』って言うのは違うよね。


最後に…


やっぱりモナは嫌い(-_-#