会津藩校日新館天文台跡
商業ビルなどが並ぶ広い通りから入るとすぐに
大きな石垣が目につきます
江戸時代、現在の謹教小学校東側には
会津藩校日新館がありました。
日新館では天文学も学ばれており
そのための施設として建設されたのが、この天文台でした。
日新館の建物は戊辰戦争により焼失してしまいましたが
現在、天文台跡のみがその跡地に残されています。
江戸時代には全国各地で天文台が建設されましたが
現存しているものはこの日新館の天文台跡のみです。
そのため、全国的にも貴重な史跡であり
さらには天文学的にも貴重なものであることから
日本天文遺産認定となりました。
(会津若松市のページより)
天文台の跡が残るだけで
天文台そのものはありません
一番上にはお宮があります。
白虎隊の少年達も文武を学んだ藩校日新館は戊辰戦争で焼失し
天文台跡が今に残る唯一の遺構です。
基底12間余、台上方5間半、高さ3間半で、天文学習の観測場でした。
天文学の授業でどれほど実測用に活用されたか不明ですが
冬至の日には、暦学家や天文師範などが集まって
明年の雲気候や、晴雨考を編んで官に提出しました。
(会津観光ナビより)
側面奥には階段があり、以前はここから上に
登れたようですが
今は立ち入り禁止です
周囲には普通の民家が並んでいて
この天文台跡だけが、江戸時代です^^
当時日新館は当然この場所にあったのですが
戊辰の駅の際に焼失し
現在は他の場所に立てられて
観光名所になっています
この天文台は藩主、保科正之が
天文学を学ばせるために
藩校である日新館に設置したそうで
その向学心に感心させられます
夕刻になりました。
鶴ヶ城を眺めながら
そろそろ帰途につこうとしたのですが
天文台跡に向かいながら
市内を車で走っていて、偶然見つけた史跡がありました。
これも私には驚きでした
この後はそちらに寄り道してから
帰ることになりました^^