1987年のMJ ギフトと コー・アクション 1 | 猫とスワロとマイケルと

猫とスワロとマイケルと

スワロフスキーなどビーズ作品を作り 猫ボラさんを応援する事をライフワークにしています。

夢を目指してブログを始めます。
すべてのパッションは 
大好きなマイケルジャクソンからもらっています。
                        

1987年 9月のマイケルの来日を記念して 金貨が発行されました。 

私が これら3枚のコインを入手したのは 2012年でした。

彼 BADの君 が持っているのは 1オンス の金貨
友達が 発行元に問い合わせたところ 500枚の限定発行

とても レアな品物だそうです

縁あって 私の許へ来た 3枚のコイン 
1/4オンスコイン2枚 と1オンスコイン1枚


今から27年前の1987年のこの金貨にまつわる話を、ご存じの方も多いと思いますが

今一度  その頃にタイムトリップして 1987年のマイケルに 会いに行きませんか。
いままでと 一味違う観点から マイケルを知りたい旅です。

その時は まだ生まれていないという あなた 
あなたにこそ1987年のマイケルを 感じてもらえたら嬉しいです。

1987年 あなたは 何歳で どこで何をしていましたか?

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

金貨の話は 左の本で 知りました。 右の本では1987年の旅のナビゲートをしてもらいます。


この本では 収益の一部をユネスコに寄付 とあります。
私が その ユネスコの担当者の記事を知ったのは 2012年 10月8日の
Loveさんの 【マイケル・ジャクソンという人の辿った道に畏敬の念えを】という記事です。
こちらクリックで見られます。

記事のソースである ユネスコ鎌倉 2009年 の記事があります。クリックで見られます。

これは マイケルが29歳になったばかりの時の話を 彼の没後の2009年に その当事者であるユネスコの担当者が 書かれた記事です。

若干29歳 といえ 彼がそれまでに残した功績 さまざまな世界記録 
あらゆる 名声と富  賛美と賞賛  すべてを手にしていたスーパースターであったことを否定できる人はいません。   とんでもなく 偉い人なんです。(*v.v)。 


 

鎌倉ユネスコ会報/78号から(2009年9月1日発行)からの引用

ありがとうマイケル・ジャクソン 私たちはあなたを忘れない

それは1987年晩夏のことだった。一本の電話が、当時私が在職していた日本ユネスコ協会連盟事務局に入った。

マイケル・ジャクソン関係者から「この秋、日本での初公演にあたって、マイケルがユ
チャリティ・オークションを前に、
ネスコ運動に協力したいと言っている」と。ひとつはマイケル愛用品提供によるチャリティ・オークション。


もう一つはマイケルの肖像入りゴールド・メダル発行の許諾。それらの収益金全額寄付の申し出だった。ポップスの世界に暗いため躊躇する私の背を押してくれたのは事務局の若い職員たちであった。

オークションには全国からフアンが詰めかけた。愛用のマフラーやブルゾンなどはどこまでも高値がつき、遂には競り人がストップをかけなければならないほどだった。ゴールド・メダルは発売と同時に完売した。これらの収益金1000万円余は、そっくりユネスコ運動のためにと寄せられた。

何の見返りも要求せず、その基金にマイケルの名を冠することさえ拒み、ただ基金の使途は「学ぶ機会に恵まれない途上国の子どもたちのために」の言葉を残して、マイケルは日本をあとにした。
私たちはこの基金をシードマネーに、1990年に始まる「国際識字年」に先駆け、1989年、「ユネスコ世界寺子屋運動」をスタートした。この運動は、ことし20周年を迎えた。

日本滞在中、何日か行をともにした私たちが驚いたのは、少年のように無垢で繊細、含羞に満ちたマイケルの実像であった。湘南海岸を走る車の中だったか「あなたはなぜ寄付先に民間ユネスコを選んでくださったのですか?」と質問した。ようやく聞き取れるほどの小さな声で「ユネスコの支援活動がギフトでなくコー・アクションだったから。その理念に共感したから」とマイケルの答が返ってきた。Co-Operative Action 略してコー・アクション。支援する側も受ける側も、同じ地平に立って共に行動する。これぞユネスコ精神そのものだった。

差別と貧困を平和と共生に変えていくことを、その音楽活動を通して訴えつづけたマイケル。

 もう見過ごしてはいけない
 世界で起こっていることを。
 僕たちが変えていかなくては
 僕たちにはそれができる筈だと"We are the world"でマイケルは絶唱している。


                  引用は以上 赤い文字は 私ゆうしん号が 付けたものです。

マイケルはノーベル平和賞に2度も候補に挙がったほど
慈善活動をしていたこと 博愛の人であった事は ファンの人はもちろん多くの人が知っている事実です。
”やっぱり マイケルらしい” 
と感動を覚え 畏敬の念を抱いた方も多かったと思います。


他方 いまだに マイケルをひどく誤解している人が多い事も事実ですね。 

マイケルの実体 と 誤解されたマイケルのイメージ
この 乖離(かいり)は どこから来たのか

それらを 探る旅をしたいと思います。
今回は 1987年のマイケルの周辺を探りに コイン サイン(別の記事になります)
に焦点を当ててみたいと思います。

ギフトとは コー・アクションとは
識字教育とは 

マイケルの尊厳を守る旅 を私はしていきます。