来たる日曜日に告示となる横須賀市議会議員選挙を前に、現職議員の任期中の仕事ぶりを知るために、本会議における一般質問の回数をここに公開する。尚、本会議場における議員の発言機会は、この他にも質疑や討論、代表質問など様々あるが、前二者は特定の議案にたいする発言であり、また後者は市上級職員の書いた文章を読み上げる者もいる(とくに交渉会派に多く見られる傾向)ため、下に示す表にはいずれも計上しない。
現職議員は任期中にどれだけ一般質問に臨んだか
11回 井坂、小林、大村
10回
09回 藤野、小幡、小室
08回 竹岡
07回 堀
06回 根岸、加藤(裕)
05回
04回 関沢、川本
03回 二見、本石、大貫、青木(哲、副議長1年)、南、髙橋
02回 木下、嘉山、渡辺(副議長1年)、山本、田中(県議転職)、土田、加藤(眞)、石山、工藤
01回 青木(秀)、葉山、大野(議長2年)、田辺、長谷川
※一般質問に背を向けた者
伊関(副議長1年)、松岡、西郷、永井(副議長1年、県議転職)、板橋(議長2年)、角井、濱
野、杉田
(注釈)議長及び副議長は、議事進行を司る立場にあるため質問台には立たないが、その任にない期間はとうぜんに他の議員と同じく質問台に立つ機会はある。
市議会議員の役割とその権能
横須賀市の主権者たる私は、彼らが自らに与えられた任期中にあまねく市民のためにどう行動を取ったか、に関心を寄せ、折に触れ市議会のウェブ・サイトを通じ、本会議を写した録画配信に目を通した。勿論、市議会議員の職務は一般質問に限らない。とはいえ、主権者たる市民は、日々の暮らしの合間に彼らの職務に隈なく目を光らせ続けることはできない。ゆえに、彼らは自らが選挙期間中に主張した政策をどう具現するか、またそのためにどう行動を取ったか、を知るためにも、われわれは本会議における一般質問の内容を(発言通告書を含め)知らなければならないのだ。
横須賀市議会の本会議における一般質問は、発言を望む議員各々の所属常任委員会に係わらず、市政に関わりのある限り如何なる質問もし得る。ゆえに、一般質問の内容を見れば、議員各々の肝入りの政策は勿論、執行部の監査という、二元代表制における議会の役割にまつわる彼らの認識(の程)はおのずと見えるのだ。まあ、一般質問の回数を殊更に誇る議員にも(よしんばいるとすれば)呆れるが、とはいえ、代議制民主政治を標榜する社会における市民による主権附託を受け、執行部に直接問い質すという権能を(一時的にも)与えられながら、それを自ら放棄する者を私は税金泥棒と呼ぶ。
広く市政に関心のある市民のあるべき姿
翼賛メディアはしばしば、地方議員に支給された政務活動費の領収証の不明瞭を鬼の首を取ったように指摘し、またその領収証を提出した者を晒し者にする。無論、政務活動費の使途に疑義のある限り、それを指摘し、また問い質すのはとうぜんだが、政務活動費にだけ血道を上げる自称「オンブズマン」諸氏は、広く市政に関心のある良識ある市民とは程遠い。われわれは、自らの命と暮らしを守らせるために、市議会議員1人あたり任期中、給与、期末手当、そして政務活動費にと5,000万円程を支払い、彼らを雇傭する。ゆえに、われわれは、彼らの仕事ぶりが自らの支払う費用に見合うものか否か、を複眼的に検証しなければならず、またその検証の過程は、政務活動費の領収証の粗探しに明け暮れるより主権者意識に根差したものと言えるだろう。翼賛メディアと同列の考えに陥る限り、前述の人士は自らの望む「デモクラシー(民主政治)」を絶対に手に入れられない。というのも、民主政治の最大の弱点は、「愚民により率いられる民主政治は卓越した指導者に恵まれた独裁政治に劣る」制度的欠陥にある。既得権益の用意した愚民の洗脳手段に他ならない翼賛メディアの手玉に乗せられ、此奴らよろしく何某を吊るし上げ、それにより自らの溜飲を下げ、挙句に自らは良識ある主権者だと思い上がる前述の人士に政治を変える力はないと指摘しよう。
一般質問に背を向ける理由(わけ)
とはいえ、市議会議員の大半は、回数の差はあれ、一般質問に臨むのに、なぜ、それに背を向けんとする者もいるのか。その理由を聞けば、99%の市民は呆れるだろうが、こうした者達は、議長や副議長といった議会有給役職(とはいえ、金銭的に一番旨味のあるのは、驚く勿れ、県内広域水道企業団議会議員)への就任という下心を抱いた途端に、一般質問に背を向け始める。まあ、政治家に限らず、医師や士業、そして教師といった、世間的に「先生」と呼ばれる職業にある者は、嫉妬や怨念に苛まれる人種だ(大学の学部教授会にもこの害毒は蔓延する。じじつ、学部長選挙の時期には、檄文とも取れる怪文書をしばしば目にする)。本会議場の質問台に立ち、市長あるいは理事者(=市上級職員)の答弁に窮する質問を呼び水に論戦を繰り広げるや否や、市民の好意的評価を受けるだろう同僚に嫉妬心を抱き、挙句に、当該同僚の議会有給役職への就任を阻止したいと考えると聞く。
こうした非難の声に、この者達は白々しくも「質問台に立たずとも、市長部局の部課長と話し合いの場をもち、政策の具現に向け日々職務にあたる」と嘯くだろうが、そうした考えを私は密室政治の温床と断罪する。というのも、われわれはこの者達の言う「話し合い」の場における彼らの言動を知る術をもたず、ゆえに、その言動に垣間見える彼らの考えの良し悪しを判断することさえ出来ない。これにたいし、本会議場における一般質問は勿論、常任委員会の会議はすべて、傍聴や市議会のウェブ・サイトを通じた生中継や録画配信等により公開され、とうぜんにわれわれは彼らの考えに触れ得るのだ。思えば、市民による主権附託を自らの存在根拠とする彼らは、自らの主義主張を含め、その仕事ぶりを公開しなければならないはずだ。昨今の国際情勢とも関連し、北京(政府)やロシアを独裁あるいは強権国家と非難する党派に与する者は、とりわけこの意識を強くもたなければならない。主権者の目に見えない政治は、半島の将軍様の所業と変わりないのだ。
市議会に今、求められる人材とは
タウンニュース横須賀版(No.817、2023年2月24日号)によれば、今回の市議会議員選挙には、54名(現職31名、元職1名、新人22名)の立候補予定という。とはいえ、昨日曜日に行われた県議会議員選挙の候補者の顔ぶれを見る限り、市議会議員選挙にも現職、新人の別を問わず、食い扶持のために旗を揚げる(と思しき)者も含め、市民の命と暮らしを守れるとは思えない候補予定者は、間違いなく複数人いるだろう(ただし、告示前という時節柄、特定の候補予定者にたいする言及は、これを遠慮する。とはいえ、私は、再選を目指す現職の大半に加え、候補者交代を含めた新人の半分ほどの顔ぶれを見たうえで、このように指摘する)。
とはいえ、市議会議員時代には、保守系を自称しつつも政権党とは一定の距離を保った上地は、市長就任後すぐさま政権党の顔色窺いに明け暮れるようになり、たいする市議会議員も、吉田市政期には「吉田応援団」と揶揄された者達さえ上地に靡く有様の今、市議会に求められる人材は、二元代表制のありようとその意義を理解し、自らの職務の本質(市議会議員の本分は行政監査にある)を常に意識し、もって市長以下執行部との「良好なる」緊張関係を構築し得る者と考える。なにせ、「市長になれば市議会議員時代とは違うんだよ」と如何なる臆面をも見せずにこのような言辞を口にする上地との論戦に真面に臨める(と考えられる)候補予定者はどれだけいるか。
食い扶持のために立候補する者は選挙公報に馬脚を現す
翼賛メディアもお祭り騒ぎの国政選挙と違い、候補予定者の顔ぶれさえほとんど報じられない地方選挙は、此奴らの洗脳工作に惑わされずに投票に臨む人も多いが、唯一の難点と言えるのは、主権者は自らの必要とする判断材料を自ら入手しなければならないことだ。とくに、市議会議員選挙は、選挙公報に目を通す他に候補者の主張に触れる機会はまずない。とはいえ、この事実を知る横須賀市選挙管理委員会は、「公正なる」選挙を標榜しつつも、新聞折り込みという、盗人(翼賛メディア)に追い銭(購読料)をくれた挙句に、まんまと此奴らの言辞に騙され、煽られる愚民にのみ選挙公報を「配る」という露骨極まりない手段を如何なる臆面をも見せずに取る。
ゆえに、この投稿をお読みいただいた方には、是非、市のウェブ・サイトに公開される選挙公報に目をお通しいただきたい。というのも、市内の至る所にある公営掲示場に貼り紙もせずに市議会議員候補を名乗る者もおり、ゆえに、選挙公報に目を通さなければ氏素性さえ不明の候補者は必ずや複数人いるし、公営掲示場に貼り紙のある候補者さえ、これなしにその主張する政策は不明だ。とはいえ、これを読めば読むほどに、われわれは食い扶持のために立候補した(と思しき、言わば)馬脚を現す候補者を幾人も見るだろう。ただ、こうした者達は、二言目には夢だの希望だのあるいは横須賀LOVEといった抽象的且つ空虚も甚だしい文句を恥も外聞もなく限りある掲載欄に大きく書きつけるが、こうした言辞はろくに考えもなしに立候補した証左と言えるし、学歴や前職、年齢といった、候補者を選ぶにあたりまったく不必要の事柄をぐだぐだと書く心理は、自らに誇るものもないという劣等感の裏返しだ。おまけに、政策と称する記述にも、小学校の学級目標と見紛うものもけっこうあったりする。
まあ、今の選挙制度(立候補する者は自らの職を賭さなければならない)は、自ずとニートやフリーターあるいは中年(初老)オヤジの再就職と疑わしき候補者を生む。勿論、こうした者達に「市民のために働け」と言うのは徒労に過ぎない。なにせ、こうした者達は、自らの食い扶持のために立候補するのだ。冷静に考えよう、「吾立たん」と志ある妻子ある会社員(40歳、年収500万円)の思いを聞いたあなたは、それにどう答えるか。とうぜんに、連れ合いも、存命の親も、友人も、同僚も、職を賭すこの考えには賛同しないはずだ。