ああ、やっぱりな――私は、率直にこう思った。過日(1月16~17日)行われた、大学入学共通テスト(以下、共通テストと称する)の外国語、フランス語の問題を眺めながら、私の脳裏にふとよぎったのは、「化物の 正体見たり 枯尾花」という、古い句であった。この句は、18世紀前半の俳人、横井也有(よこいやゆう)の詠んだものを、彼の死後、その作品を編纂した大田南畝(おおたなんぽ)の手により上梓された、也有の句集『鶉衣(うずらごろも)』に所収のものであり、現代では、上五(かみご)の「化物の」を「幽霊の」に読み替えた、「幽霊の 正体見たり 枯尾花」としても知られる言葉だ。まあ、いずれにせよ、この慣用的表現の言わんとするところを端的に示せば、見掛け倒し、となろうか。まさに、今般の共通テストを形容するに相応しい言葉だと、私はつくづく思った。
とはいえ、蓋を開けてみれば、昨年度までの大学入試センター試験(以下、センター試験と称する)と代わり映えのしないものであろうことは、現場の先生方は勿論、教育に特段の関心のある人であれば、誰しも想像に難くなかった。よくよく考えれば、否、考えるまでもなく、昨年度までのセンター試験よろしく、独立行政法人大学入試センターにより運営され、問題をおつくりになる先生方の布陣も大きく変わった訳でもなければ、国大(とくに、一期校を中心に)の独自入試(2月25~26日)を前に志願者を選り分けるという試験の目的もなんら変わってはいないのに、それこそ劇的に試験の内容や水準の変わることはありえず、おまけに、そもそも、あの、おつむの限りなく弱い安倍政治に擦り寄る自称教育者連中の宣う「教育改革」(だいたい、保守を自任する政権が、革新系の錦の御旗たる「改革」の2文字を叫ぶことじたい笑止千万だ)なるものが上手くいくはずはないのだ。勿論、現場の先生方は、じつに冷静に、そして、そんなことを百も二百も承知で、ただひたすらに、目の前の生徒達に今、教えるべきを教え続けたことだろう。まあ、教師にできることといえば、せいぜいそれくらいなのだ。とはいえ、共通テストをめぐる、世間とやらの風評に動揺し、右往左往した教師がよしんばいたとすれば、その者は、教壇に立つ資格はない。
にも拘わらず、教育産業大手は軒並み、やれ「共通テスト対策」だのを異口同音に口にし、広告主サマのご意向には逆らえない翼賛メディアは、どこの馬の骨とも知れぬ教育評論家とやらに日銭を渡し、ああだ、こうだ、と頓珍漢な意見を垂れ流し続けた。それはなぜか。答えはじつに簡単、なにも知らぬ生徒やその保護者を騙し、不安を煽り、そしてその不安につけ込めば、濡れ手で粟、しこたま金が稼げるからである。そもそも、教育の場において、教師が生徒や保護者を前にある種「特権的」でいられる(ほんとうは、そんなことはないのだけれども…)のは、教育の専門職として得てきた経験や知見のもたらすものの見方と見え方があってこそなのだ。ということは、日頃、二言目には「生徒のため」なる言辞を口にする此奴らは、とうぜんに、共通テストなるものが、本稿の冒頭に示した「化物の 正体見たり 枯尾花」であることをよく知っていたくせに、浅ましくも「自分(の儲け)のため」に嘘をついたのである。
とはいえ、私は、此奴らの「売り文句」に踊らされた生徒や保護者に同情はしない。如何なる時も道徳的であることが求められ、綺麗事の蔓延る日本の教育現場では、他者を欺くのは良くない、と教えられる。勿論、それは至極まっとうな考えであり、且つ人間のとるべき態度そのものなのだが、悲しいことに現実は、その教えには程遠い。生き馬の目を抜くごとくの資本主義社会のなかで、自分さえ良ければそれで良いと考える9割9分の愚かしき人間(勿論、私もそのひとり)は、じつにしれっと自身の利得のために嘘をつく。他者を欺くのは当たり前のこの現実世界において、煽られ、惑わされ、欺かれ、そして踊らされるのは罪悪、言わば無知蒙昧ゆえの自業自得そのものである。だからこそ、人間はただ純粋に、真摯に、そして愚直に学ばねば、否、学び続けねばならないのである。そして、そうすることでしか、勝手知ったる連中の張り巡らせる罠や戯言を見抜き、以て自分の身を守る術はない。だが、そうして学び続けていれば、あるとき、「これって、こういうことだったんだ」と気づくことがある。そして、このときに感じ得る知的興奮は、なにものにも代え難い、言いようのない喜びだ。私は最近、新型肺炎、地球温暖化、英語教育、この3つを突き崩せない壁と思うようになった。翼賛メディアに顔を見せる自称専門家とやらの騙し、瞞しの手口の数々を具体的根拠とともに私がどれだけ説明しようとも、翼賛メディアの言説を真に受け、それを真実とまんまと思い込まされている人々は聞く耳をもたない。とはいえ、前述の通り、自分さえ良ければ…と考える私は、この人達があとになって自分の間違いに気がついて吠え面をかこうと知ったことではない。だが、私は同時に、10~20代の若人達にはそんなぶざまな思いをしてほしくないとも思っている。彼らが、もっと真摯に、そしてもっと貪欲に学びに向き合うことを心から願うばかりである。