この間、私は、不思議な夢を見た。彼氏の家の台所に、姉上と二人、並び立つ私。今よりも身体の敏捷に動くところを見るに、どうも私は二十代半ばのようだ。台所で料理を拵える私を、食卓に座る彼氏は、時折見詰め、そして、彼氏と目の合った瞬間、思わず私の表情は和らぐ…。

 

 自分の見る夢に驚いた私は、目を覚ました。「夢に見た光景」とは、まさに言い得て妙、とはいえ、こんな光景、所詮見果てぬ夢たることは、私には百も承知、否、二百も合点なのだ。それだけに、その朝の寝覚めは、いつにも増して悪く、言葉にし難い心地の悪さを引き摺り続けた一日だった。

 

 私が、彼氏の長姉たる、その姉上に会ったのは一度きり、大学三年生の夏、彼氏に自宅に招待されたときだった。彼氏の言うには、老齢の両親を気に掛ける長女の責任感ゆえなのか、屢〻実家に顔を見せるのだという。玄関先での会釈の後、居間に通された私は、早々に挨拶を済ませ、彼氏の母上の用意したという食膳の御相伴に与った。食事を終えた彼氏は、私を自室へと案内した。彼氏の普段過ごす部屋、彼氏の匂いのする部屋で、彼氏と二人、寝台に腰掛けつつ手を握り合い、時折顔を見合わせながら、取り留めのない話をした。私には、この上なく幸せな時間だった。自分は、この世で最も幸せな人間なのだ、とそのときの私は、浅はかにも思ったのだ。

 

 そのときだった。お茶とお茶請けを手に部屋に入って来た姉上は、弟たる彼氏に、母親が呼んでいると伝え、それを聞いた彼氏は、一旦部屋を離れた。不意に、姉上と二人、部屋に取り残され、恟々とする私に、姉上は問うた。

 

「あなたは、(彼氏の名)のことを、どう思っているの」

 

 こう問われた私は、答えに窮した。と言うのも、玄関先での会釈の折、彼氏は、母上、そして姉上に対し、私を友達と紹介したからだ。私が、彼氏に対し思慕の念を抱いていることを姉上には絶対に言えないし、かと言って、彼氏の言葉そのまゝに友達と答えたところで、姉上にその嘘を看破されるのは必至だった。なにせ、女子学生が大半を占め、宛ら女子大の様相を呈するフランス文学科に通う私は、女性とは、往々にして、とくに男の吐く瑣末な嘘を見破るのに長けることを知っていただけに、益〻答え難くなり、終いには、俯き加減に姉上の用意したお茶を片手に、それこそお茶を濁そうとした。そんな私の浅ましい姿を目にした姉上は、更に言葉を続けた。

 

「あなた、(彼氏の名)のことを大切に思っているんでしょう。ありがとう。あなたに本気の思いを寄せられる(彼氏の名)は、ほんとうに幸せ者よね。弟はさあ、末っ子でしょう、だからね、あの子は甘えたがりのところがあるのよ。あなたのその優しさで、(彼氏の名)をそっと包んであげてね」

 

 それまで、自分の思いを否定され続け、その思いを受け止めてくれる男性にも中〻巡り逢えずに来た私には、この言葉は、驚きだった。私の母とて、私の思いを否定こそしないものの、「同性愛なんて気色悪いわ」と常〻口にするだけに、やはり、この言葉は、驚きだった。私は、言い知れぬ感情に襲われ、思わず目頭を熱くした。そのとき、彼氏が部屋に戻って来た。そして、この話は、ここで終わった。

 

 私は、姉上に、二度と会うことはなかった。そして今、改めてあの日の、あの言葉を振り返れば、姉上は、最大級の皮肉を私に言ったのだと理解出来る。あの日、私にとってある種の驚きとともに耳にしたあの言葉は、二十歳も年齢の離れた、愛する弟に付き纏う私に対する姉上なりの罵倒だったのだ、と愚鈍な私も、この歳(三十四歳)になった今なら理解出来る。私が、誰かを好きになることは、自分の大切に思う相手だけでなく、その周りにいる人達をも傷つけ、そして苦しめる辛い現実を改めて思い知った、そんな朝だった。