『ふらんす』(白水社)に連載の記者・西村カリン女史の論考を教材に、フランス語の読解力向上を図るとともに、フランス人の価値観やものの見方、感じ方、そして着眼点について深い理解を目指しましょう。今月、女史の俎上に載るのはLe vocabulaire qui fait mal、苦しみを齎す言葉の遣い方、です。翼賛メディアの日〻発する、目に見えぬ不安や恐怖心を無辜なる人民に植えつけるための嘘八百、言辞の数〻に私は反吐が出ますが、いっぽう女史は、共和国大統領やメディアの用いる言葉遣いに違和感を覚え、強い懸念を抱きます。女史による指摘と主張は、フランス、日本を問わず、時の為政者とその尻馬に乗る輩共の見せつける浅薄の限りを暴露するのです。

 

 

      On aurait aimé fêter le beau mois de mai de façon gaie, enchantée, printanière, fleurie, avec un simple traditionnel brin de muguet. Mais la pandémie de coronavirus occupe tous les esprits. Dans les périodes délicates, l'humain se trouve quand même des raisons de se divertir, de se changer les idées.

 

      De mon côté, ce sont souvent les mots qui m'intéressent dans ce genre de situation. Je n'ai personnellement pas vécu de conflit militaire dans mon pays, mais j'en connais le vocabulaire. Las, depuis que le coronavirus COVID-19 a envahi la planète, les mots qui l'accompagnent sont ceux des temps de guerre : restriction, réquisition, interdiction, confinement, rationnement, couvre-feu, frontières, surveillance, combat, endiguement, propagande, médecins, mort. « Nous sommes en guerre », a dit le président français Emmanuel Macron six fois lors d'une allocation de 20 minutes. Au Japon, on parle plus de crise que de guerre.

 

      Ces mots en tout cas ont le fâcheux pouvoir de rappeler des périodes sombres. En outre, en écoutant la radio française, j'ai parfois sursauté : je ne supporte pas que les médias emploient le mot « tsunami » pour décrire le nombre de malades arrivant simultanément dans les hôpitaux qui s'en trouvent alors débordés. Il faudrait dans les moments difficiles trouver des termes qui n'ajoutent pas le souvenir d'un drame à un autre. [223 mots]

 

 

      私達は、心地良い五月という時季を陽気に、嬉しい気持ちで、春らしく、花咲くこの時季を気取らぬ、そしていつも通りの一茎の鈴蘭を手に迎えるのが好きでした。とはいえ、今、コロナウイルスの世界的流行は、誰しもの思考力を捉えて離しません。こんな過敏な時期であっても、人間というのは、気晴らしをしたり、気分転換をしたりする諸〻の理屈を見つけるものなのです。

 

      私の場合、こうした情勢に置かれたとき、関心をそそられるのは、やはり言葉です。私は、個人的には、祖国において、軍事的紛争の只中に身を置いたことはありませんでしたが、私は、そのような場面で用いられる語彙を知っています。あゝ、悲しいことに、この新型コロナウイルスが世界中に蔓延してからというもの、この流行に伴い出て来る表現の数〻は、戦時のものばかりです、物資の統制、徴用、禁止事項、拘禁、配給制、夜間外出禁止、国境、監視、戦い、押し留め、デマゴギー、医師、死。「われ/\は、戦争状態にある」共和国大統領、エマニュエル・マクロンは、二十分に及ぶ演説の中で六回も、この表現を口にしたのでした。日本では、人〻の口に上るのは、戦争よりも不況の話題です。

 

      いずれにせよ、こうした言葉は、暗澹とした時代を思い起こさせる、という、厄介な影響力をもつのです。おまけに、フランスのラジオ番組に耳を傾けていた私は、屢〻はっとしました、その頃既に、天手古舞の状態にあった病院に、同時的に担ぎ込まれる大勢の患者達を表現するのに「津波」という言葉をいくつものメディアが用いていることに、私は我慢なりません。目下のこうした辛い時期だからこそ、惨劇の記憶を次から次へと重ね塗りしないような言い回しを見出さなければならないと考えます。

 

 

 出典は、NISHIMURA-POUPÉE, Karyn, « C'est vrai ? 86 Le vocabulaire qui fait mal », France, 95-5 (2020), pp.46-47、下段の日本語訳は私による。

 

 第一文、女史は、本格的な夏の訪れを予感させる、この五月という時季を多様な表現を用いつつ(半ば回顧的に)読者に向け語る。立ち所に咲き誇る桜の花に、新たな季節の到来を感じるわれ/\日本人ではあるが、とはいえ、「五月は夏の始まり」と言う女史の、否、フランス人の感覚は、日本人には中〻理解し難い。フランスに長逗留した頃、長い冬は、気の滅入る季節のように、私には感じられた。緯度的に日本より北にあるフランス、冬の夜明けは八時過ぎ、大雪こそないものの、どんよりとした天候の続く冬は、じっさいの気温(も寒いが)よりも寒く感じられた。おまけに、冷え込みの厳しい日に限って、ステュディオの温水式中央暖房は故障し、ひとり、暗い部屋で寒さに凍える夜もあれば、「ことしは暖冬」と聞けば、市民の生活を脅かすセーヌ川の増水を心配したりもした。ゆえに、気候も良くなり、寒さも一段落した五月は、フランス人にとって、新しい季節を予感させるにじゅうぶんな時季なのである。とはいえ、この感覚は、現代の文明的都市生活の恩恵に浴するわれ/\に特有のものではない。今でこそ、五月頭といえば、国際労働節の時季だが、広く大陸ヨーロッパにおいて、この時季は、古くローマ共和政の時代より、来たる豊穣の季節の到来を祝う祭典の時季だった。そう、五月は夏の始まり、と捉えるフランス人の思考は、二千年にも亘り子々孫々へと受け継がれた、ある種の文化的遺産なのである。平城京の古より、幾世代にも亘り人〻に愛されし日本の春の風物詩・花見と同じ、言葉に出来ぬ、そして、身体に染みついた感覚なのである。

 

 とはいえ、女史は、この五月という時季のもつ麗しい印象に、只漫然と浸ることはせず、昨今のフランスに蔓延る、ともすれば戦時を思わせる荒〻しい表現の数〻に、警戒感を抱くとともに、懸念を表明することを躊躇わない。思えば、二〇一七年に就任した共和国大統領現職は、新自由主義に対する戦いたる反ヨーロッパ連合(所詮は西ヨーロッパの為政者達の首根っこを摑む猶太金融資本[ロチルドを筆頭に]の論理に過ぎない)の声を背景に、メディアの作り上げた虚像に他ならない。就任前後、屢〻耳にした「若き大統領」なる売り文句は、その何よりの証左だ。そして此奴、政治家に転身する前は、ロチルド銀行の職員だったという、つまりは此奴、猶太金融資本の回し者(子飼いと言うべきか)なのである。ということは、此奴は一体、誰のために働くのか、間違っても、主権者市民のためではないことは明白だ。ゆえに此奴、既に手垢のついた「環境」を口実に大衆増税を目論んだものの、市民の反発は凄まじく、所謂「黄色いベスト」と呼ばれる、大規模な示威行動に発展した。それを鎮圧すべく、記憶に新しい昨年春、此奴はノートル=ダム大聖堂に火を放った(おまけに、再建のための寄附なる浅ましい金儲けまでして見せた)ものの収束出来ず、その上年金制度改革反対の声も加わり示威行動は更に伸長、遂には昨年十二月以来、フランス国鉄やパリ交通公団の職員を中心とした同盟罷業に突入、都市交通は乱れ、そして、一部の教職員組合も、この一連の動きに連帯の意志を表明したため、教育現場も、一部授業の回らない状態に陥ったという(フランスの教育現場では、日本とは違い、教師不在の場合の同僚教師による、所謂「代講」はない。その理由は、教師は各〻、責任コマ数に基づく労働契約であり、超過勤務にあたる代講を拒否出来るため)。このような状況の中、新型コロナウイルスの蔓延は、此奴にはまさに渡りに舟だった。女史の列挙する、耳障りな表現の数〻を並べ立て、おまけに、戦争という言葉さえ軽〻しく用い危機を煽る(日本の翼賛メディアも、普段は相手にもしない作家・辻仁成氏にフランスの現状と称し散々語らせていた)ほんとうの理由は、感染拡大防止を言い訳とした外出制限を根拠に、こうした示威行動を封じ込めることにある。特派員記者を業とする女史もこゝまでの言及こそしないが、とはいえ、女史の指摘は、フランスの「いま」を知る上で貴重な論考だ。女性誌のパリ特集なるものに絆され、氾濫する情報に振り回される自称フランス文学科の出身者(現役の大学生を含む)は、知識の程度もフランス語の上達も中途半端なのだ。

 

 そして、女史の表明する懸念は、女史自身、その身を置く、メディアにも及ぶ。勿論、メディアの一員たる女史は、昨今メディアの繰り広げる馬鹿騒ぎの正体やその本質を突くような言及を一切しない。とはいえ、第九文における女史の指摘は、じつに示唆的だ。女史は、情報を広く大衆に伝えるにあたり、メディアの選び取る言葉遣いに警鐘を鳴らすが、その際に、[...] que les médias [...]と従属節主語名詞に定冠詞(複数形)を添え語る。この女史の語り口の示唆するものとは何か。それはつまり、主義主張のまったく異なる(メディアを不偏不党と考えるのはmédiocre(凡庸)な日本人だけ)種々の報道媒体が、皆一様に同じ論調を張るということだ。これほど恐ろしいことはない。夫れ/\に独自の意見や見解、そして主張を自由に語り、議論し合う――ことは、民主政を基調とする二十一世紀の社会における大前提である。にも拘らず、異論を差し挟むことを認めない昨今の風潮は、まさに女史の言葉を借りれば、「暗澹とした時代」そのものではないか。ある一つの支配的な論調に覆われる社会、そしてその一員たるわれ/\の目にする将来は、滅びし郷土の地獄絵図に他ならない。七十五年前、「一億総玉砕」だの「一億火の玉」だのとほざいたメディアは、勝算のない戦争により日本を滅亡へと導いた薩長革命政府の悪行に加担した。そして、今、「一億総自粛」の大号令の下、日本は又再び滅びんとし、この笑止千万の浅智慧(にも値しない)を日〻市井に垂れ流すのは、やはりメディアなのだ。そう、ある特定の論調に、論壇が支配されたとき、われ/\力なき市民は、理性的且つ冷静に、物事の本質に肉薄せんと努めるべきだ。フランス、日本を問わず、メディアによる浅ましい限りの所業の数〻は、時の為政者のなす低脳無策の責任をわれ/\市民に転嫁(「自粛の『緩み』」なる言葉はその典型)し、目に見えぬ黴菌をだしに、言い知れぬ不安を過剰に煽ることで、市民の(による、為政者に対する批判的な)目を眩ませる、を目的とする。大衆増税に対する反発に始まった、大規模な示威行動を漸く封じ込めた共和国大統領現職は今、私権制限という暴走の手痛い竹箆返しを散発的に発生する暴動という形で食らっている。五輪という、甘い汁のお零れに与らんとPCR検査一つ吝嗇ったために、特別定額給付金に休業補償、様々な支援金とPCR検査の拡充に必要な費用を優に超える出費を余儀なくされた、まさに「目詰まり」の安倍。こんな馬鹿垂れに同調し、来る日も嘘を吐き続ける翼賛メディアの醜態に嫌気の差すにつけ、この論考の締め括り、第十文に示される女史の意見は、読者の心にじつに深く突き刺さる。そう、やはり、言葉は大切だ。言葉にもっと意識的になろう。省エネモードの言葉遣いを見直し、また、改めない限り、今日もまた、われ/\は、巷間に蔓延る、害悪を齎すだけの薄っぺらい言辞に絆され、そして踊らされる茶番狂言を演じ続けることになるだろう。