前回は、筆者(辯者)の振り返る、過去の経験という具体的なエピゾードを議論の肴として、「信頼」なるものとは何か、そして、その「信頼」に価値を置く人〻は、何をどう考えるか、フランス文学の伝統的音韻を意識した言葉運びや対比を効果的に用いた文章技法により聴衆に語り掛ける部分を読みました。今回、目を通すテクストは、その続き、「信頼」に価値を置く人〻の思考や行動の理由を語る筆者(辯者)は、続く第五段落において、自身が価値を置く共和政、その共和政とは何か、という大きな問題提起を筆者(辯者)は、聴衆に向け投げ掛けるのです。
【第四段落(後半)】
Mais eux-mêmes se gardent bien d'inscrire définitivement au passif de l'humanité qui dure les mécomptes des générations qui passent. Et ils affirment, avec une certitude qui ne fléchit pas, qu'il vaut la peine de penser et d'agir, que l'effort humain vers la clarté et le droit n'est jamais perdu. L'histoire enseigne aux hommes la difficulté des grandes tâches et la lenteur des accomplissements, mais elle justifie l'invincible espoir.
とはいえ、こうした人達、それ自身は、幾世代にも亘って抱き続ける失望を脈々と生命を繫ぐ人類の負債に、とどのつまりは落とし込むことのないよう、じゅうぶんに注意を払っているのです。そして、こうした人達は、揺るぎない確信をもって、断言するのです、考え、行動することには価値があると、そして、知的たらんとする人間の努力、そしてその権利は、一度たりとて失われたことなどないということを。歴史は、われわれ人間に、高貴なる使命を果たすことの困難やその成就には時間の掛かることを教えますが、とはいえ、歴史というものは、人間の抑え難き希望はまっとうなものだと証明しているのです。(私訳)
第四段落の後半部において、筆者(辯者)は、前回読み進めた、「信頼」というものについて、また、それに価値を見出さんとする人〻の取る(心的)態度について、その見解を述べつつ説明を試みる前半部に続き、こうした人〻は何故、前半部において言及されし(心的)態度を取るのか、その理由を詳細に語る。この第七、第八文において示されるその理由は、目に見えぬ、おまけに、目先だけの短見に過ぎぬ不安に苛まれ、物事の本質を見通す冷静を失いし人〻の跋扈する「いま」を生きる私達には、じつに身につまされる指摘である。薩長革命政権を称揚し、此奴等の暴走を美化する他能のない現政権とその茶坊主共の所業は、八十年前に辛酸を嘗めた、私達の先人達の悲劇を思い起こさせるし、それに絆され浮き足立つ市民は、筆者(辯者)の言う「知的たらんとする人間」では断じてないだろう。第九文における筆者(辯者)の視点を良識ある市民たろうとする私達は、共有しなければならない。愚者は自身の経験に学び、賢者は他者の(つまり、過去の)経験に学ぶ――これはあのビスマルクの言葉だ。
【第五段落】
Dans notre France moderne, qu'est-ce donc que la République ? C'est un grand acte de confiance. Instituer la République, c'est proclamer que des millions d'hommes sauront tracer eux-mêmes la règle commune de leur action ; qu'ils sauront concilier la liberté et la loi, le mouvement et l'ordre ; qu'ils sauront se combattre sans se déchirer ; que leurs divisions n'iront pas jusqu'à une fureur chronique de guerre civile, et qu'ils ne chercheront jamais dans une dictature même passagère une trêve funeste et un lâche repos. Instituer la République, c'est proclamer que les citoyens des grandes nations modernes, obligés de suffire par un travail constant aux nécessités de la vie privée et domestique, auront cependant assez de temps et de liberté d'esprit pour s'occuper de la chose commune. Et si cette République surgit dans un monde monarchique encore, c'est d'assurer qu'elle s'adaptera aux conditions compliquées de la vie internationale sans entreprendre sur l'évolution plus lente des peuples, mais sans rien abandonner de sa fierté juste et sans atténuer l'éclat de son principe.
われわれの生きる、このフランスの近代において、共和政とは、一体何であったのか。それは、信任に基づいた、大いなる行動であったのです。共和政を打ち立てるということは、幾百万もの人〻が、自分達自身の手で、自分達の行いに共通した規範を示し得ると言明し、自由と規範、それはつまり、心や身体の動きと社会の秩序を両立させ得ると言明し、分断することなく、主義、主張を戦い合わせられると言明し、そして、その分断が、よくある内戦への熱狂にまで至ることはないと言明し、そして、まさに、はしかのような独裁に、致命的となる休息や尻込みに過ぎぬ心の平穏を求めるなど断じてないと言明することなのです。共和政を打ち立てるということは、辛抱強い労働を通し、私生活を営むに、または、家庭生活を営むに必要な糧を十分に得なければならない、近代における大国の市民は、状況はどうあれ、誰しもに共通する現実と向き合うに十分な、時間や精神的自由を担保すると言明することなのです。そして、もしも、この共和政が、今尚君主政の世たるというのであれば、この共和政なるものは、世界の人〻の直面するややこしい状況と同じであるだろうことは間違いないし、民衆の変わり様はもっと緩やかなものであったことは言うまでもなく、とはいえ、共和政のまばゆき高潔なる精神を棄て去ることはなかったであろうし、まばゆき共和政の理念を薄めることもなかったでしょう。(私訳)
第五段落は、筆者(辯者)自身価値を置く、共和政を巡る言及に費やされる。筆者(辯者)はまず、共和政とは何か、という問題提起とそれへの解答を簡明に聴衆に対し示した上で、抑〻この演説において俎上に載る共和政なる語の指し示すものとは何か、その定義を試みる。とはいえ、この条りに目を通した日本人(学生)の過半は、その記述(いや、ここもやはり言及と言うべきか)にある種の回りくどさを感じるであろう。げんに、フランスに留学した日本人学生は、この点において、まず出端を挫かれる。そう、フランス(の学校教育)における論述の雛形を体得せぬままに書き上げた提出課題は、悉く添削され、その上、容赦なきほどに手厳しい評価を受けることになるからだ。その雛形とは、一)問いを自分の言葉で書き直し(じっさいに、先生方はまずこの部分にだけ目を通し、「あなたはsujet(主題)を取り上げていない」「あなたの記述はprétexte(口実)に過ぎない」といった講評を仰る)、二)そこに用いられる語(あるいは表現ないし概念)の指し示すものを定義する、である。ゆえに、一見(一聴)しただけでは冗長と感じたこの言及も、じつは、論述の雛形に沿った、ものの語り方なのである。更に、筆者(辯者)は、ややもすれば冗長な言及の印象を払拭すべく、反復の文章技法を効果的に用いる。具体的には、第三、第四文の冒頭部は、いずれもInstituer la République, c'est proclamer que...(「共和政を打ち立てるということは、…と言明することなのです」)なる書き出しに始まる。一段落中に同一の語句や表現の重複を厭うフランス語、それも公的な場においてなされる演説における反復の効果的使用は、共和政に対する筆者(辯者)の強い思いを聴衆に印象づける。そして、その思いは、第五文後半部での言及により、更に念押しされるのである。