道中、本当に危険な際に弘法大師さまが助けて下さいました。
鶴林寺では鶴が女人になって、太龍寺では龍が女人になって、土佐の国へ移動する朝、阿波の国で泊まったゲストハウスのご主人からゴールデンウィークに宿の仕事を手伝ってと依頼された夜、泊まった旅館のお風呂で泣きました。一斗と二子がお母さん気付いてと、私の意識に伝えて来ました。最初から弘法大師さまはゲストハウスで利用者が私ただひとりの二日間の夜、お経を唱え助けて下さっていました。(←後日話をしてわかったのですが、宿の主人が仕事を終えてお経を詠んでいると思ってましたが、お経と気配を感じていた空間は宿の主人が寝ている上の吹き抜けの空間でした)
思慮の浅さからの危険から守って下さっていたのです。
お遍路をするまでは、死んだら無になると思っていましたが、違うと認識が変わりました。
歩いていると、地元の方だけでなく、同じお遍路さんがお接待をしてくれました。
また、何回も巡っている方ほど必ずと言っていい程誰かの為に何かすることが身に付いているのです。
私は今回のお遍路では自分のことだけで精一杯で誰かを思って何かをすることは出来ませんでした。
それでも、受けたご好意にはありがとうございますと心から感謝の気持ちを伝えました。
意気がって自分ひとりで生きてきたなどと思っていた若い頃を思い出し苦笑いです。
ここまで来れたのは、生んで育ててくれた両親、いつも支えてくれる姉、そしてお遍路をするきっかけとなった一斗と二子、愛を教えてくれたディア、励ましてくれる友人、知人、知らない人、お接待してくれた地元の方、お遍路さん、私を生かしてくれている全ての生命、そのおかげなんだと巡る度見に染みました。
お遍路を共に歩んでくれました。
本当にありがとうございました。