- <命の際限が見えたとき、最大限の愛をそこに見出すことができるのか>
誰かを愛していることを表現するのは、難しい。
照れくさい、というのもあるだろう。
だからこそ、「急ぐことでもない」という想いもあるだろう。
「急ぐこともない」というのは、いいわけであり、しばしば後悔を招くのだ。
どうして素直にできなかったのか、と。
それがどんな愛であっても、そうなるものなのだと思う。
言いにくい言葉ほど、実は大切で、
実はできればできるだけ早く伝えるべき言葉なのだ。
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たとえば、自分の命がいつまでがわかったとき
あるいは自分が愛する人の命がいつまでがわかったとき
残された時間を愛に費やすのは必然的なことであろう。
だれもが、命の際限を抱えながら生きているのに対し、
ほとんどの人が、あたかもそれは永遠のように思いながら生きている。
それは宿題のようなもの。
宿題は、提出期限が迫るまでなかなか焦ることができない。
ところが、目に見えるほどに近づいたときに、初めて焦ることができるのだ。
私の場合は、と付け加えるべきだが。
- 人生を語るには、まだ時間が足りないだろうが、
- しかし私が思うに、人は、生きるものはすべて、
- 「生きる」という宿題を抱えながら生きている。
- 「生きる」とは、ただ息を吸って吐くだけではない。
たとえばそれは、絵を描くことかもしれない。
たとえばそれは、国を支えることかもしれない。
たとえばそれは、音を奏でることかもしれない。
たとえばそれは、家族を守ることかもしれない。
たとえばそれは、誰かを力の限り、愛することかもしれない。
- 「生きる」形は人それぞれだ。
「生きる」がなんであるかを見極めたとき、その人は、
- 最期に向かって、「生きる」を力の限り達成し続ける。
それが、「美丘」の場合、「自分の思うがまま」生きることであり
自分の思うがまま生きることはすなわち「太一くんを愛する」ことだったのだろう。
- また、太一にとっても、「生きる」ことは「美丘が生きている限り美丘を愛しつくす」ということだったのだろう。
- 美丘 (角川文庫)/石田 衣良
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登場人物:★★☆☆☆
ストーリー:★★★☆☆
構成:★★★★☆
難病を目の前にして、どう生きるか、ということよりも、
命の終わりが見えたとき、どう生きるのか、ということ。
人間は生まれた瞬間、死に向かっていきている。
ある種のモラトリアム。
ただ、その期間の長さなんてわからなくて、
永遠だと思い込みがちな私は、あいまいに生きてしまう。
ただ、この本を読んだからと言って、
急に明日から「ちゃんと生きていこう」なんてことは言いたくない。
急に悟ったような顔して生きるのは馬鹿馬鹿しい。
それにすぐ、また忘れるんだろう。
感じたのは、そう、「生きる」形の一つとして、
一人を愛しつくす、ということもあるのだということ。
それは私にとっては、
幻想世界のような、夢物語のような発想に思えてならない、ということ。
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構成としては、名前ではなく「きみ」を多用しているところから、手紙ないし特定の人物に向けられたメッセージとして受け取れるもの。時系列はしっかりしているので混乱することはない。むしろ、「きみ」の多用と、時系列順に素直に時間を重ねていくという点が生生しさを演出する。まるで、ノンフィクションのような感触。
しかし、主人公となる男子の、誇大表現では?とも思える設定にゲンナリしてしまう。
また、最終的に「美丘」に依存しすぎてしまっていて、その先の彼の「成長」が見えないところが残念。いや、そういう演出なのかもしれないが。つまり、だからこそ、これほどまでに美丘にこだわってしまう、という論理づけ、という意味で。
それに、登場人物の人生を、本一冊に完結させる必要性は、あるようで、ない。
この物語の中で、主人公は「死なない」ので、物語のないところで、物語は続く。すなわち、「もしかしたら」の範囲において、彼は成長しうる可能性がある、とも言える。
もし、この本を「一人の男が一人の女を愛したことを、自己満足の限りで記録したいがゆえに記した物語」という前提の下でよめば、さして後味は悪くないだろう。よくも悪くも、そうなのだと思う。
もしこれが、実話で、
愛された男が、自分が愛した女性の生きた証をこういう形として半永久的に残したのならば
愛は永遠であるということになるのでは、と思った。
悪くはないが、特別いい、というものでもないかなぁという作品でした。
どこか、自己満足な、作品。
まさかの9人面接。でも全員きてたら12人だった。なんか面接がやっつけ仕事みたいで、会場に入った瞬間やる気が失せた。最初からそんなにあった訳じゃないけど。
皆がフォーマット化された受け答え。それが×9だからホント疲れた。たいていのことばは、実際の経験を余計な部分を削ぎ落としてキレイに型どりされたものだから嘘じみて疲れる。ソリューションに惹かれた?ゼミ長の経験からコミュニケーションを学んだ?世の中にそんなのを本気で言えるやつがそんだけいたら、世の中はもう少しマトモだろうよ。
まぁ面接自体はやっつけではなかった。それなりに真面目で、それなりに真剣。ただ、会社のレベルが向上するのは難しそう。勘違いが多そう。
デザイナーって肩書きの人がもさーーってしてたし。
業界が時代に敏感であるべきな世界なのに対して全体的に時が止まってるような印象があった。
単純で複雑。
これは自分のこと。
IKEAに行きたかったのに!
当日で「いや、東京インテリアでいいっしょ」
てなわけでトチギ某所の実のは宇都宮じゃないのに宇都宮と称するモールの近くにある東京にない東京インテリアにいってきましたとさ!
ソファは即決。ていうか私が判断した。
お店の人も、なぜか私に力説。いやぁー私は金はだしませんぜ。
お昼ははま寿司。くら寿司あったらいきたかったなーとかおもってお店でたら隣の電器屋またいでくら寿司あったwwwwwちょwwwwwまじナイわwwwwwwだもんでリベンジ。いつかきっとー!
ヴィレヴァンでやっすいアロマキャンドルかったら、まぁ、案の定だけど、香りませんね。火が燃えているだけっす。
もっとやることあるんだけど、手につかない。
意識がそっちのけ。
だれか私殴ってくれ。
Uの付くアパレル小売り、1次うかっちゃいました。テヘ。
問題は2次。まともな面接で、太刀打ちできるのだろかー。
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昨日の話。
アドミュージアム、すごい久しぶりに行ってきたッス。
最近の私といえば、コピーライターに固執してコピーライターになりたかったわけじゃないそのことに気づいたので、「コピーを書く」というのは以前より他人事的。
素直に「うまいなーこの言い回し」「これはなるほどだな」とか考えてた。
一方一緒にいた友達は葛藤の中。
その場所にいたコピーライターの人と直接話した。
「自分がしたくないことを考えればいい」という言葉には新鮮さを感じた。今まで、何がしたくないか、っていうのを真剣に考えることはなかったから。なんとなく~はあったけど。
友達が恋愛的なアレでショックなことがあったとかなんとかで「飲みに行っちゃいますかー」的なアレになりその空気で断れないかんじなのでいってしまい自己嫌悪。お金・・・ないけど・・・まぁ・・・ね・・・・・・・だってさ・・・そこで「いやアタシかねねーし」とかいえないじゃん・・・・
あたしが持ってたお金が大きいのしかなかったので私がはらってあとからおかねもらったんだけど
なんか、もらった額が、たぶん、ちいさいんだよね、
じぶんでお金いっぱい持ってればきにならないところなんだけど、ほら、いまおかねないじゃん?ね?おかねないんだけど、自業自得だけど、おかねないんだよー・・・
そういう感じで、日本はFIFAに出れるからよかったよね。あんな試合で勝てたのはえらいとおもうよー。
あーだめだだめだ!モヤモヤ祭りじゃー!!どうしよう!どうしよう!どうしよう!
orz
デニーズのバースデークーポンやばい!!
タダでパンケーキやばい!!
先日の話。
知人の友達があたしと友達だったっていう話で
久しぶりにそういう事態を経験したもんで
しかもじゃっかん不仲なカンジを醸し出そうとしてる間柄だっただけに、アレアレアレーみたいな。
今回のは、まだ良い方。
リアルに不仲な人とこれから知り合う誰かが繋がってるなんていうことも全然あり得るわけで。
これから社会人になったら(なったとしたら)人付き合いなんて広がる一方だしね。
改めて、人付き合いは丁寧にしようと、思った(-_-;)
まじ(-_-;)←こういうの使いたくなっちゃうくらいの衝撃と反省。
今日は新橋。
コピーライターからクリエイティブ熱を貰ってきたいと思われます。
グループディスカッションでした\(^O^)/
誰も予期していない事態
しかし時期が時期なだけに物怖じするわけでもなく。
全員の学校を言ったわけではなかったけど、
一人は院生で二人はワのつく大学っていう
久しぶりにヒェーと思うような学歴の人と肩を並べて試験をした。
しかし私はしゃべりすぎた
しかも他の人が「ウンウン」つって乗っかってきちゃうから
あまり議論にならず。
結論は出せたけどなんかしっくりこなかった。
ぶっちゃけ
しっかりしてよオーo(>Д<)o
って言いたかった(笑)
ES書こうとしてる会社は2ちゃんで叩かれてるし(笑)
まぁ業務とかクライアントが何であるかっていうのは期待はしてないけど。
でも、とりあえず
コピーライターって肩書きさえ手に入れられるならいいんだよなんでも…
まだ書けてないけど
てか書けるかわからないけど!
疲れるわー
改めて「人に話を聞いてもらう」ていうのは、有効手段だと思った。
今日は、授業をすっぽかして…というのは時間がなかったので・・・キャリアセンターのソウダンインってやつを活用してみた。ソウダンインは、40か50くらいのトリゴエさんみたいなおっちゃんだった。
自分で言うのもなんだけど、自分の中に悩みとか疑問がある時は、たいてい答えも自分の中にすでにある。
それを引き出してもらうっていう行為をすることが大事。っていうのは、先週の土曜の授業で言われたことでもあるんだけど。
頭の中にはたくさんかんがえが浮かんでいて、それが絡まり始めたので紐解いてもらうことが大切。
それをしてもらったという感じ。
いまさら、という時期まで来てしまったので、今更自己分析をしてもしょうがない。
ただ、カタを持っていないのはあまりにも悲惨なので、カタをとりあえず持ってみようということになった。
解決、するのは内定がもらえてから。
とりあえずステップを踏みなおせた、という感じ。
空白の3月、もがいた4月、失望と脱力の5月。
もう、2009年も半分近く過ぎようというところ。
「今年は就活しかしてないやー」
なんていうのはヤダ。
というか、そんなんだったら人間として小さいまま終わってしまう。
ソウダンインのおっちゃんがゆってたけど
「会社は、大学生がどれだけ遊んできたかを見てる」
大学生が学校で学んだことに期待してないって。
たしかに、経営学もマーケティング論も、机上の空論でしかないところがあるし。
教授がやってるのは理論であり客観だから、
もっと中身のある話は、実際に仕事しないとわからんだよね。
まぁー、
実際そんなに遊んできたわけでもないけどさー、人に比べて。
勉強もしてないけど。
じゃ
何やってきたんだ?!
笑
さてさて
ES書こう。
だって、
本気になった分だけ、
かなわなかった時に傷つくことを知っているから。
だから
いつも慎重に
できるだけ本気にならないようにしてきた
自分に本気にならないように言い聞かせてきた
だから
うまく行かないのも当然だったの
わかっていた
気づかないフリしてた
でもね
もうすぐワタシは22歳
そろそろ本気になるのも
悪くないって思ったの
ていうか
本気にならなきゃ
ダメなんだよね
ワタシが本気じゃないのに
相手が振り向いてくれるわけがないんだって
やっと気づいたの
もう
傷つくことを恐れない
本気になって
追いかけたいと、思えるかは
まだ時間がかかるかな
でも
もう四年生だもんね
オトナにならなきゃね
※就職活動の話です
思えば
「どうせ落とされるし」って思って面接受けてた。
本気だしたら落ちたときショックだからテキトーにやって、落ちたときの言い訳にできるようにしていましたよ。私は。
そんなだからダメだったんだよねー単純だけど気づかなかった(-_-;)
こないだ行った説明会で「今の時期を頑張れる君たちの世代は強いから(だから頑張れ)」って話されて、私はダメだなって思った。時代のせいにして頑張らない自分を見てみぬふりしてた。
そもそも「どうせ」論が情けない。
脱・どうせ論!
改めて、恋愛と就活が似ていると思った。
どうせ論は、どちらもダメにしてた。変わらなきゃ。変われるかな。変わらなきゃダメなんだけど。
昨日バイト先で、明日までポイント10倍だよって行ってたからわざわざ寄ったのになんもやってなかった。マジ憤慨。
しかも大宮ですれ違い様知らん人に肩を叩かれ(さわられ?)怖かったので会釈して光の早さで逃げた。なんだったんだろーこあいよーこあいよー
どんな占いやっても11月にはなんかいいことあるらしいから11月まで踏ん張ろう
こないだロバートがメニュー食べ尽くそうとしてたくら寿司ってどこにあるんだろー行ってみたいーつーか寿司食いたいー
魚みたいー
水族館行きたいー
海行きたいー
水着ほしいー
可愛い水着が着たいー
可愛い水着を来てお昼のワイドショーの特集に出てそれを見た人が番組に電話を掛けてその連絡が私まで届いてそのままゴールインしたいー←違
ていうか来月もバイト少ない。
昨日シフト見たら19日しか入ってなくて。
ていうか19日て!!!苦笑
でもあれこれ話したらずらして増やしてくれることになった…っても4か5日しか入らないけど。
これじゃあ旅行はおろか水着も(?)フェスも無理だよ。
飲み会なんて言語道断。
外食も控えなきゃ…
たぶん使っちゃいそうだから宣言しときます。
私、お金使えないんで!!!
泣けるー
終わり。
中には共感できるのもいるが、ほとんどの場合彼らの振る舞いは主観的すぎてまいる。
そんなわけで今日は授業を飛び出した。
大学は四年目になるが、授業が詰まらなくて飛び出すなんていうのはそう頻繁にはしてきた訳じゃない。
それに、無意味に飛び出したわけではなく新宿にいくという目的があった。
都庁前駅を出ると、家のない人がたくさん寝ていた。
これが日本だ、と思った。
いや、これも日本だ、と思った。
合説もこの時期となれば閑散としている。
会場が小さかったのもあるが、手書きですまされた掲示物など目に入ったときには正直萎えた。
昨年秋ごろのような士気はそこにはなかった。なんだか馬鹿馬鹿しい茶番のような合説だと思った。
目的は1社のみ。
ちょうどよく説明が始まる時間だったので席について会社の実績が詰まったファイルを拝見した。
説明は手短に終了し「続きは本社で」というようなことを言って、正式な説明会の予約を促された。
不満疑問はそれなりにあったが、今更それは言ってられないと思った。むしろ就活当初から傲り高ぶっていたからこそ未だに宙ぶらりんなのだろうとも思えた。
少しは志望してる会社に寄り添う気になるべきなのだ、私は。
一つでも説明を聞けば特典が貰えるので、それを貰って早々と会場を出た。
先日携帯で、KFCのベジチキを安く食べられるクーポンを得たので今それを食べたところだ。
別にベジタブルのボリュームがあるわけでもないし、チキンは照り焼きチキンに過ぎない。
ネーミングセンスが実商品に勝ってしまっている。つまり、もっと野菜が有るべきだと思う。悪くないがリピートしたいかと言えば違う。
駅前のKFCの地下は外国語で満ちていた。不思議な心地だった。
今からジムへ行って家に買えったら再びレンタルCDを返しに赤羽に行かねばならない。忘れないようにしなきゃ。
ジムで友達ができるなんていう雰囲気は微塵もないが、トレーナーの人が皆いい人なので楽しい。最近の楽しみと言えばトレーナーの人と話したり好きな音楽を聞きながら思いっきり汗を長すことだ。
よって就活なんて、2の次なのである。
- アイデンティティという言葉があるが、
- あれを日本語にすると「自己同一性」とかいう厄介な言葉になる。
要は、自分が自分であることを何を以て証明するかあるいは自分自身に認識させるか、ということだと私は理解している。
大昔から、哲学者たちは自己の証明を何を以て行うかを難しい言葉や複雑な理屈で論議してきた。
しかし、自己の証明に戸惑うのは、なにも難しい研究をしているおじさんばかりではない。
無論あなたも、わたしも、一度は経験しうる疑問「自分は何者であるか」ということ。
私はこの短い人生の中で出している結論は
「人物は人物の中にのみ存在しうる」ということだ。
したがって裏を返せば、空間の中には肉体が存在しているだけで、空間に人物は存在しえないと考えている。
といえば、肉体を指して「人物」はイコールにならないのか、という論議が起きうることを想定できる。
そうなれば、「人物」ということばに定義が必要になる。
私の言う「人物」とは、そのヒトを意味する要素をもつ集合体であるとしたい。その意味で、「肉体」がさすのは、人物を構成する一要素にしか過ぎないということだ。
自分という存在を自分自身で無意識的に理解しているが、それが他人と、あるいは他人同士で異なるということは多々ある。しかしどれが正しいかどうかということはない。すなわち、どれも間違ってはいない。
私の考えでは、「世界」はそれぞれの品限の中に存在していて、その中で自分と関係を持つ人間に対し、どのように考えるか、その考えに基づいて存在しているのが「人物」ということになる。
「世界」は個々に存在するものなので、人間同士で共通項があっても必ずすべて一致するということはない。
それは、たとえばこの瞬間たった今、自分とまったく同じ角度でモノを見ることができる人間は存在しえない、という事実から言えることだと思う。
でな、世界は何を以て形成されていくかといえば、現在という要素も重要でありながら「過去」というようそのほうが大きな割合を占めているだろう。
個々の「世界」を形成しているのは、個々の人間に蓄積された「過去」なのだ。
そして蓄積された「過去」とは、ここの人間の「記憶」である。
記憶というものが、必ずしも100%の人間が100%間違いなく事実のみを満足に抱いているとは言えないのはいわずもがな。すなわち記憶は、その個人によって改変される余地がある。記憶はその個人の都合のいいように改変されることもしばしばである、ということを聞いたことがある。ならば、「世界」は「事実」に基づかない。
自分の「世界」に存在させている「他人」を自分の都合のいいような立ち位置にすることもありうるということだ。
また、アイデンティティはどこか自分の都合がいいように形成されうるということだ。
いま現在、私自身が悩まされているのは
就職活動において瞬時に自分が面接官の過去として蓄積されうる情報をもとに面接をされてる中で、その印象をどのようにその面接官に作用させるか、つまりはその面接事態にどのように影響させるか、ということを、もっと考えてやらなければならない
ということなのだ。(これは余談にすぎないが)
- つまり、「記憶」があいまいならば「世界」も当然曖昧で、
- 自分が絶対に正しいと無意識のうちに認知している世界が、
- 全く事実に基づかないことになったとしても、
- それを気づくには自分ではない他人の「世界」との照合が必須になるということであり、
- しかし、他人の「世界」もまた何によってか改変されていれば、とうとう事実はなんなのかわからなくなりうるということだ。
これって結構、コワイ。
以上、「パラレルワールド・ラブストーリー」を読んだ感想でした。
- パラレルワールド・ラブストーリー (講談社文庫)/東野 圭吾
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ラブストーリー、なんてきくと、まるで生クリームみたいに甘くて、チョコレートみたいにビターなものを想像しがちだ。実際私もそういうのをじゃっかん期待していた。
しかし、ラブストーリーであることは間違いないのだか、もっと人間的な…というのはエゴイズムに満ちた…恋愛が語られている。考えてみれば、東の圭吾なんだから、甘い恋愛なわけがなかったのだ。
「脳」とか「記憶」を中心に物語が展開していく。
その精巧さにひきこまれずにはいられなかった。
物語の進行が密で、よくできている。構成としては、記憶と現実が交差しながら進んでいくのだが、それが合点する瞬間が何度かあって、その部分が「すごい」の一言に尽きた。うまくできている。
これは、ミステリ小説だ。
しかし、ラブストーリーという言葉を安易に使ったということでもない。これはミステリでありながら、恋愛小説でもあった。ただ、ここでは、さっきも言ったようにエゴの強い恋愛が描かれている。
一見エゴに満ちたものは美しいなんて言葉は程遠いかもしれない。
しかし、理性の赴くままに従うことがある意味では美しいのではないかとも思える。たしかに、そういうことをすれば、人間が社会性のある生き物である以上周りを巻き込むことは当然であり、それば周囲を傷つけうるということだから、「醜い」のも然り、だ。
恋愛のバックグラウンドには友情が描かれている。むしろ、友情あってこそのエゴイズムともいえる。
人間の醜い感情があらわにされており、醜くとも共感しえる範囲である点で生々しい。
人間の感情の動きを生々しく描くと同時に、
ストーリーの作りこまれた部分をも十分に楽しむことができる一冊であるといえる。
ぜひ!
ていうか早く寝ろじぶん!!!\(^o^)/




