前回妊娠するまでを書いたと思うのですが

今回は妊娠してから出産するまでを

書いていきます₍₍ ◝(●˙꒳˙●)◜ ₎₎


5月1日に妊娠が判明し

初の妊娠ということで当時父親並に

過保護だった旦那にお腹の子に

何があるかわからない+仕事で帰ってこれない

と言う事で実家に強制送還されました。

この時まだ病院に行けてないのですが

凄まじい心配性のパパ毎日『病院は?』

『病院いつ行く?』『病院もう行った?』

もうひたすら病院病院病院病院病院。

信者かよ!って思うくらい病院病院病院。

そこでキレた。私の

『検査薬で陽性が出たとしても
エコーに映るとは限らないのよ。
それにGW中だから開いてないよ』と

この言葉で病院行きの延長?を

渋々了承してくれた笑笑

そしてGW明けに地元の総合病院で診察

小さい小さい胎嚢が見えました(๑´`๑)♡

もうずーーーっとニヤニヤニヤニヤしながら

エコー写真を見つめてました笑笑

妊娠が判明してすぐ悪阻が始まり

胸が張って痛くて痛くて

まだマタニティ用の下着もウェアも買ってなくて

腹巻きを二重にしてお腹を守ってました。

胸も普通の下着だったので締め付けが痛くて

とても着けられたものじゃ無かったです。

当時はまだ地元の工場勤務で

立ち仕事してたのですが

出血と悪阻と度重なる腹痛とで

退社させていただきました。

悪阻は2ヶ月から5ヶ月まであり

食べても食べなくても気持ち悪くて

毎日毎日毎日心が折れそうでした。

ひたすら男梅の飴を舐めて舐めて舐めて

凌いでました(`・3・´)

息子は順調に育ってくれてたのですが

妊娠7ヶ月くらいで切迫早産になりました。

子宮の収縮を抑えるウテメリンの副作用の

手の震えと動悸息切れが辛かった。

が、結局妊娠8ヶ月の時点で悪化し入院。

入院期間はそんなに長くなくて

2週間の入院だったのですが

ほんっっっっっっとに苦痛だった!!

何もできないって凄くストレス溜まる

退院してからもずーーーっとゴロゴロ

転がってて母さんに申し訳ないなと…

思いつつひたすら食っては寝を繰り返し

正期産となる37wを目指しました。

そして待ちに待った正期産の37w

今まで動けなかった分たらふく動くぞ!!

と思ってはみたもののお腹の重みと

全く運動してこなかった数カ月のブランクで

沢山動くという目標は挫折に終わりました(¯―¯٥)

それでも階段の昇り降りやスクワットは

時々やってましたが産まれてくる気配ゼロ。

予定日が1月9日だったのですが

息子君の成長が素晴らしく週数にしては

大きかった為予定日を待たず

3日早い6日に誘発分娩をすることになりました。

そして39wに入った1月2日。

検診があったため病院へ。。。

NSTをしたところ10分間隔の張りが(°口°๑)❢❢

痛みは全くなくこれで痛みが来たら陣痛だからね!

すぐに連絡してね!と言われたけど

内心『まだ出てこないだろー』とたかを括って

診察室へ…

そこで地獄のグリグリ内診を受けました。

本当に痛い!!馬鹿なの!?って思うくらい痛い

痛みに耐えながら終わるのを待ってると

『3cm開いてるね』と言われました。

なるほどと思ったのですが

実感わかず。グリグリ内診したから下腹部が痛い。

そのうち落ち着くだろと思い付き添ってくれた

旦那とご飯行ってたのですが…

痛みが引かない…なんか変だな〜と思いながら

当時小3だった妹へのお土産を見繕って実家に帰宅
(切迫早産になってから実家でお世話になってました)

実家で座ってても痛い…

まだ内診の痛みかな?時々痛いなと思って

トイレに行くと大量出血してました。
(先人たちの知恵で破水対応のナプキン装着してた)

Σ(๑°ㅁ°๑)!?ナニコレ

とりあえず痛みの間隔を測ってみようと

そしたら弱い痛みが5分間隔( ´ཫ`)

即病院へ電話。

『入院の準備をしてきてね。』といわれ

用意してあったものを車に詰めて病院へ

行ったのは夕方だったのですが

微弱陣痛と戦いながら母さんとお喋り

夜は劇場版のアタルを観てリラックスしてたのですが

張りはあれども痛みが無い。

あれー( ˙ㅿ˙ )?と思いつつ一時帰宅かなと

考えてたら夜中の3時に一度診察してみようと

言うことになり診察へ

グリグリ内診したら『子宮口5cm』

お産進んでるから一時帰宅無しねとのことで

そこから痛みも再開。

助産師さんから今日中に産まれると思うよと
(日付は1月3日)

言われたのですがなかなか本陣痛が来ない

そしてなぜか

お産の準備に入る助産師さん

母さんが義母に電話。
(旦那は電話で起きないだろうということで)

義母が一度寝るとなかなか起きない

旦那を叩き起こしてくれました。

そして旦那が到着し少し遅れて義両親も来てくださり

またまだ余裕の私は無性にミカンが食べたくなり

みかんが食べたいと強請ったのですが

調達できず…。

昼過ぎに痛みが強くなってきて

間隔も狭まってたのですが

子宮口が5cmから開かない。

寝不足もあったため体力的に限界

立ち会ってた旦那が私の顔を見てビックリ

血の気がなく真っ白になって素人目から見ても

危険なのがわかるくらい真っ白。

慌てて『顔真っ白ですけど促進剤とか
しなくてもいいんですが?』

と助産師さんに聞いたら

『あーほんまやね使いますかー?』と…笑

旦那凄くイラッとしたみたいですが

私は意識が飛びそうでそれどころじゃなく

そこから促進剤の投与をして痛みが倍に。

実母と義母が交互に体を擦ってくれて

やっとの思いで全開。

お産の立ち会いは旦那一人だけだったため

両家母は退出。

両家父の待つ分娩室の前へ。 

お隣で出産されてるかたの親御さんと

仲良くおしゃべりしてたみたいです。
(全く知らない人です。コミュ力の高さよ(꒪꒫꒪ ))


その時旦那はもうすぐ産まれる緊張で

プチパニックを起こして

ひたすら『大丈夫!大丈夫!大丈夫!』を連呼

大丈夫ちゃうわボケ!とイライラし始めた私

お産が進んできて頭が見えてるよと言われた瞬間

痛みよりイライラより

好奇心が増し『え?頭!?触りたい!』

と謎発言。

私以外の人間困惑。

がその後痛みの波が来ていきんでたのですが

出口?が狭いから切りますねと真顔で言われ

会陰切開。

その一部始終が見えてしまった旦那

肛門が締まったそうです(´ °σω °`)
(下品ですみません^^;)

そこからが早かった

PM4時44分 3300gで誕生日。

スルッとツルッと出てきましたが

産声がまさかの一声。息子の頭の形に

びっくりしてた私は産声聞きのがす。
(イカの様に尖ってて『え、めっちゃイカやん』って思ってた)

その後胎盤を取り出し縫合をしてる最中

胎盤をみた旦那が『みてみて!ナマコみたい!』と

その日一番の興奮。

いや、見えねぇし…

子供をみて興奮しろよ。って思った

縫合もおわりじーじばーばが分娩台へ

生まれたばかりの息子に対面

撮影会が始まりました。


奇跡的に当時話題になってた
野々村議員のような写真が撮れました。


分娩時間25時間の難産でしたが

産まれた瞬間本当に嘘みたいに痛みが無くなり

疲れがどっときたので分娩室で2時間爆睡。


とまぁこれが息子を出産したお話です⸜(* ॑꒳ ॑*  )⸝

大変でしたが幸せでした。


無事産まれてきてくれてありがとう。