可愛いなぁ | 朝永皓乙の耳に残るは君の声

可愛いなぁ

事務所に寄ってきまして。

PuredropsのDVDを見せてもらいました。

詳細は伏せつつ。
佐藤君が相変わらず可愛かったです。
写真映り良いなぁ…ニコニコ



あとは見てのお楽しみです。


娯楽性と芸術性は共生することは不可能か?

昨日、美しきものの伝説を見てからずっと考えてます。

役者は観客で視線で殴られる。
それに憤るような役者では、底が知れている。
なぶられて殴られて、それでも、凛然として己の芸術を叩きつけてこその役者だ。

早口でも聞き取れたんですよね、ここの下り。

あと、印象的だったのが堺社長の野枝についての考証。
中山さんのよなぬき音階。
芸術論を語る書生と先生の会話と、先生の独白。
私が手伝ってほしいと思う人は、芸術ではなく政治を選ぶ。
創ることより壊すことを選んでいく。大杉君も書生も…。
劇場は食卓であり、役者が素材で、演出が調味料。
どう料理して、観客に何を食べさせるか?
絶対はなく、常に変化し、人が幸せであれば、思想を伝える劇など無くなる。
広場に杭を立て、花を飾れ。
死滅していく運命にあるもの、そのものが芸術である。
けれど、祭が訪れる事はない。それを前提として芝居が存在する。
何物も認めなければ、何物にも縛られる事はない。
可哀相だと誰かに手を貸すことが本当に手助けか?
その人が生き様を残したいというのであれば、ただ黙って見届けるのが本当ではないのか?
民衆を量と見るか、質・個とみるか?
他人は信用できない。けれど、信頼するために動く。
誰も動かなければ、自ら動くだろう。
正義は翳すほど、自分の首を絞める。
革命は成功すると過去を踏襲する。
砂は砂に帰るべきである。
政治は地獄。
お菓子をあげたら、あの子、私の顔も見ずに「ありがとう、おばちゃん」って言うんです。
ベルーエポック、どこが美しい時代か。
回り道をして、結局同じ処へ来ましたね。
人は私の話を美談にするかもしれない。
時代が私を産んで、時代が私を殺す。

ただ、しぃんとして、さびしい。

お出かけですか?



概略ですが、美しきものの伝説で記憶に残っているシーンはこの辺です。
ざっくりですが、意外と覚えてましたね。

タイムリーに今、サロメを読んでいたので、ビクッとしました。
オスカー・ワイルドって賛否両論別れますよね。

なんともはや。

高校時代に体育祭でクラスTシャツを作ったんですが、背中に好きなものを各自で描いたんですね。

僕は和穆と描いたんですが、やっぱり、性(さが)と描いた友人は凄い奴だなぁ、と思います。

あと、俺ってかいたのも居て。

青春時代の熱量は何物にも換え難いなと思いました。

その点で東京日記も面白かったです。

2面性とか相互理解とか、母は強しとか他人の正義論とか、ひたすらウロウロする主人公とか。

お坊ちゃまのままごとで終わるのは、本人が決断を貫けないからなような気がします。

青年座さんも文学座さんも男性陣の声の安定感はビックリします。

東京日記は小淵さんとピータンの安定感が良かったです。
間の取り方とか、空気感のやりとりとか。
内容は面白いんですが、やっぱり娯楽とは違う気がしてます。

一石二鳥は狙ってはいけないのか。


二兎を追うものは一兎も得ずか。

さて。

難儀ですな。

*ゆきと@日和見主義*