こんばんは


今日のお天気

予報通りの梅雨の雨☔


タケーンです。


昨日、東京にいる長女から

突然の贈り物が届きました♪



ずっと連絡取れなくて心配してましたが


何とか頑張っているようです。


美味しかったよ。ありがとう😊



そんな今日は、朝から市民会館へ


やまびこコンサート🎵


障害者と共に社会が輪になって


生きることを支え合う。


その中で


僕が以前にお会いした


盲ろう者の方が講演してくれました。


彼が伝えてくれたのは


目が見えなくても、耳が聞こえなくても


出来ないと諦めないこと。


転んでも転んでもまた立ち上がり


ゆっくりでも良いから前に進む。



僕は、


自分が耳聞こえなくなっても


まだ目が見えてるから、


喋れるから、これ以上に


目が見えなくなるなんて


怖くて考えられなかったけど


そんな怖さを1ミリも感じさせない


彼の生き方に感動しました。


ありがとう😊



そんな昨日6/22は、小林麻央さんの命日。

僕は、その当時まだ病気には

なっていませんでしたが、

ずっとブログを通して応援していました。

彼女が書いたブログの中で

彼女の言う通りだと本当に思いました。

今、自分がその当事者となり

生きることの大切さを

身に染みて感じています。

人生は、一度きり。


『私は、全て自分が手をかけないと

気が済まなくて、

全て全てやるのが母親だと

強くこだわっていました。

それが私の理想の母親像でした。

けれど、

病気になって、

全て全てどころか、

全くできなくなり、

終いには、入院生活で、

子供たちと完全に離れてしまいました。

Mao Kobayashi and her son

自分の心身を苦しめたまでの

こだわりは

失ってみると、

それほどの犠牲をはたく意味のある

こだわり(理想)ではなかったことに

気づきました。

そして家族は、私が彼らのために料理を

作れなくても、幼稚園の送り迎えが

できなくても、

私を妻として、母として、以前と同じく、

認め、信じ、愛してくれていました。

私は、そんな家族のために、

誇らしい妻、強い母でありたいと思いました。

私は、闘病をBlogで公表し、

自ら、日向に出る決心をしました。

すると、たくさんの方が共感し、

私のために祈ってくれました。

そして、苦しみに向き合い、

乗り越えたそれぞれの人生の経験を、

(コメント欄を通して)

教えてくれました。

私が怖れていた世界は、優しさと愛に

溢れていました。

今、100万人以上の読者の方と

繋がっています。

Mao Kobayashi with her family

画像提供, MAO KOBAYASHI

人の死は、病気であるかにかかわらず、

いつ訪れるか分かりません。

例えば、私が今死んだら、

人はどう思うでしょうか。

「まだ34歳の若さで、可哀想に」

「小さな子供を残して、可哀想に」

でしょうか??

私は、そんなふうには思われたくありません。

なぜなら、病気になったことが

私の人生を代表する出来事ではないからです。

私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、

愛する人に出会い、

2人の宝物を授かり、家族に愛され、

愛した、色どり豊かな人生だからです。

だから、

与えられた時間を、病気の色だけに

支配されることは、やめました。

なりたい自分になる。

人生をより色どり豊かなものにするために。

だって、人生は一度きりだから。』



うん、それが生きること。


今日も みんな ありがとう😊

物語は、続くんだ。

そして、今日も暮れてゆく・・・