真田宝物館 信州5名城巡り 宝物館◎ 長野県長野市 | ともサンタの人生遺産

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真田宝物館

山寺家資料展

漢学者で藩政に大きく関与した山寺常山を輩出した松代藩士・山寺家。

 

グッやっぱり真田家は歴史に残る凄い一族でしたびっくりマーク

 

真田家の家紋

六連銭

死者を埋葬する時に六文銭を納める風習にのっとり、戦いにのぞむ武士の覚悟を表したと言われている。

                       結雁金  州浜   割州浜

 

丸ブルー洲浜紋とは、河口などで土砂が積もってできた島形の洲を紋章化したもの。

丸レッド洲浜紋は、祝賀の飾りに使われる装飾の「洲浜台」を象り、3つの円を組み合わせたような形にかく。

ダイヤオレンジ近くの苗村神社の神紋と同じなんです。どんなご縁があるのだろうか?

 

真田十勇士
猿飛佐助(サルトビサスケ)
甲賀流忍者

霧隠才蔵(キリガクレサイゾウ)
伊賀流忍術の達人

海野六郎(ウンノロクロウ)
仲間の活躍を陰で支える幸村の右腕的存在。
真田家の重臣であった海野氏出身の武士。
大坂夏の陣で徳川方に突入した先鋭部隊のひとり。

穴山小助(アナヤマコスケ)
武田家家臣出身の武士。
大坂夏の陣で家康の本陣に切り込み壮絶な最後を遂げた。

筧十蔵(カケイジュウゾウ)
種子島銃を扱い、射撃の達人。

三好清海入道(ミヨシセイカイニュウドウ)
真田十勇士の中で最年長の武士。
僧侶の姿で重い鉄棒を振り回す豪傑。

三好伊三入道(ミヨシイサニニュウドウ)
兄である三好清海入道の誘いを受け、幸村の家臣に。

望月六郎(モチズキロクロウ)
大筒や地雷火といった火薬武器の製造使用を得意とする甲賀流忍者。

由利鎌之助(ユリカマノスケ)
鈴鹿山中で山賊をしていた鎖鎌の達人。

根津甚八(ネヅジンパチ)
元海賊の頭領。

 

江戸時代以降に創作された架空の人物はてなマーク

 

これは何だろうはてなマーク

 

なるほど、千曲川の流れを外堀とする天然の要塞だびっくりマーク

 

関ケ原合戦の物語

戦いに参加していない武将が描かれていて謎の多い絵巻気づき

 

馬に乗るための鞍 真田信之所用

日本では、古墳時代から木製だそうです。

 

大手櫓御門絵図
2階建 楼門で、下層の門扉を支える大柱は約55cm×48cmであり、大梁である冠木は約48cm×70cmと記述。 

 

真田幸綱(幸隆) 1513-1574年 真田家の祖 信玄に仕えた

真田信綱      1537-1575年 長篠の戦いで討ち死に

真田昌幸      1547-1611年    表裏比興の者

真田信繁(幸村)  1570-1615年  大阪の陣で討ち死に

 

真田信之  松平藩真田家初代藩主

真田信政  二代藩主 信之次男

真田幸道  三代藩主 信政子供 2歳で就任 70年つとめる。

真田信弘  四代藩主 信政長男の子

真田信康  五代藩主 39歳で死去

 

真田幸弘 六代藩主 文人大名

真田幸専 七代藩主 彦根藩井伊家より養子入り

真田幸貫 八代藩主 白河藩松平家より養子入り

真田幸教 九代藩主 藩内抗争と幕末動乱に苦慮した。

丸レッド明治維新の際、松代藩は比較的早くから倒幕で藩論が一致し、朝廷から信濃全藩の触れ頭役を命じられた。

 

飯山城奪還の御礼

 

真田家が治めた村の名前

 

真田幸貫作の香合

 

雅楽演奏用の太鼓

 


松代藩鉄砲鍛冶 片井京介の作

 

 

 

登龍図 真田幸貫の書画

 

山寺家伝来の小柄と笄 真田家よりの拝領品

 

真田幸教から山寺家に下賜された 

丸レッド金銀であしらわれている。

 

山寺家に下賜された、早世した真田奈良の遺品 文鎮

イエローハート可愛らしくもあり、見事な造りの亀さんでした。

 

 

鹿型の的

 

中屏風 四季折々の風景がまねかれている

 

 

長野市松城町に取材する主な指定文化財

 

 

 

甲冑も着物も着られるんですスター

 

これは攻め辛いお城だと思うピリピリ

 

信州松代観光協会

 

次は名古屋駅の向かうのですが、またまたJRトラブル発生ムカムカハッ

 

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2024.04.05 長野県長野市松代町松代4−1