明治維新胎動の地、萩
伊藤博文
吉田松陰の私塾である松下村塾に学んだ。
久坂玄瑞
幼少の頃から城下私塾の松下村塾で四書の素読を受けた。
この塾には1歳年長の高杉晋作も通っていた。
日本近代化の礎を築き、新時代を牽引した多くの先達を育んだ。
創建来、萩藩の人材育成の中枢を担い、多くの先覚が志を立てた藩校明倫館。
とうとう晴れ男返上か
大きく神社改革をしたので神様怒っているんだろうか
何十年ぶりかの旅のど真ん中の雨だ
明倫館(めいりんかん)は、長州藩の藩校。水戸藩の弘道館、岡山藩の閑谷黌と並び、日本三大学府の一つと称された。
中庭 テーマはつなぐ
橋の造形を二か所に組み込んだ。石組で枯滝をつくり、枯流れのなかに切石二本を用い、筏上に組み橋としている。
などなどと書かれているが、私のような凡人には全く意味が分かりませんでした。私も前栽を日々改善しているが、自分の意思が他人に伝わった時は感激するのですが、伝わるのはまれなんです。
志士判定おみくじ
貴方に似ている志士は誰~松陰先生が判定~
あなたに似ている志士のおみくじを、この引き出しからお受け取り下さい。
入江久一、久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿➡松門四天王
入江久一 尊皇攘夷活動、奇兵隊参謀。
山形有朋 民権運動抑圧、中央集権的な地方制度の確立。
伊藤博文 内閣総理大臣(初代、5代・7代、10代)を務めた。
桂小五郎 大久保利通、西郷隆盛とともに維新の三傑。
吉田稔磨 攘夷活動、池田屋事件で非業の死を遂げた。
高杉晋作 藩論を「尊王討幕」にまとめる指導的役割。
小田村伊之助 萩本藩と岩国藩を取り持つ重要な役割を果たした。
久坂玄随 1862年藩論を公武合体から尊王攘夷に一変させた。
1849年に13代藩主 毛利敬親サンが、新明倫館の開校を記念して、10代学頭 山県太華に『 重建明倫館記 』を撰ばせて建てたもの。
1741年に、6代藩主 毛利宗広が創建の由来を伝えるため、2代目学頭 山県周南が撰文して建てた。
玄武岩に、『 明倫館記 』が刻まれている。
台座の亀さん犬歯がでている。贔屓という霊獣になったのだとか。
贔屓➡ 盛んに力を出すこと。また、そのさま。
ひいき、えこひいきなどの語源とは面白い。
新明倫館の正門として建てられた門
藩校明倫館の遺構で、新明倫館の正門として建てられたもの。
左右に袖があり、潜門がついている。
この門は、藩主が聖廟を拝する春秋の「釈菜(せきさい)」(孔子祭)や公式行事以外は開かれなかったという。
次は、おがわ是苦集 幕末ミュージアムにご案内します。
普通の人が、個人の趣味であつめたとは凄すぎる
2023.09.30 山口県萩市江向602