出世の松
森部合戦
西美濃を征服しようと、1561年織田信長が、本郷村(羽島市)より長良川を渡って、斉藤龍興軍と戦った場所(森部村)です。
この戦いは、斉藤軍6,000騎に対し、織田軍1,500騎の戦いでした。この戦いでは、織田軍の死傷者は少なく、戦死者320余のうち、大部分は斉藤軍でした。
この戦いの内容の信頼性は別として、勝利した事実と、大量の鉄砲を使用したことの事実は間違いないだろう。
ではなぜ信長が大量の鉄砲を手に入れられたのだろうか
単純に財力があったのだろう。
いや、人を雇うお金より鉄砲を買うお金を優先した先見性があったと考えるべきだ。
首実検と鎧かけ松
信長は、薬師堂近くで敵の首実検をしましたが、そのとき、鎧を松にかけたと伝えられる「鎧かけの松」が昭和30年頃まで残っていました。現在は2代目です。
前田利家は、この戦いで討ち取った二つの首を持参し、戦功が認められ、信長から300貫(約水田60町歩に相当)を増加されました。
NHK大河ドラマ「利家とまつ」を記念して、信長、利家がこの地から出世していったという縁起にあやかって「出世の松」を植樹したようです。
森部薬師堂
信長が、森部合戦の首実験を行い葬った場所で、首塚とも言われ、
合戦戦没者をまつる石塔があります。
石碑の文字
傳教大師御自作薬師如来安置
永禄四年織田齋藤両軍古戦場
本尊 薬師如来
伝教大師作と言われている。
チョット休憩でした
2019.04.21 岐阜県安八郡安八町森部下河原2831