堂内でのおもしろ法話が参拝者に大好評
住職叉は代替者による縁起の説明がある
話にのせられて、お札をいっぱい買いました
2016.12.12
元善光寺(モトゼンコウジ)
宗派;天台宗
本尊;善光寺如来
創建;(伝)602年
開基;(伝)本多(本田)善光
長野県飯田市座光寺にある寺院。
以前は坐光寺と呼ばれていた。
現在も座光寺として地名にその名を残す。
座光の臼
宝物殿(有料)ですが、如来様をその上に祀った臼から御光がさして光ったという「座光の臼」があります。
御涅槃像(オネハンゾウ)
御釈迦様が亡くなられた事を涅槃に入られたという。
その時の御姿を表わしたのがこの像です。
仏教伝来 飛鳥時代
『日本書紀』(720年完成)によると、仏教が伝来したのは飛鳥時代、552年(欽明天皇13年)に百済の聖王(聖明王)により釈迦仏の金銅像と経論他が献上された時だとされている。
現在歴史の教科書には、538年(戊午年、宣化天皇3年)とされている。
『日本書紀』に、仏教伝来したのは欽明天皇時代とある。
この時、物部尾輿と中臣鎌子ら(神道勢力)の反対勢力と、蘇我稲目の賛成勢力があった。
なので、天皇は蘇我勢力に仏像と経論他を下げ与えた。
その後、疫病が流行り国津神の怒りを買ったのだとして、物部勢力が、寺を焼き仏像を難波の掘江に捨てた。
その後、物部勢力が滅亡すると、聖徳太子が四天王寺(大阪市天王寺区)を建立するなど仏教が栄えていく。
602年に、この地の住人本多(本田)善光が、難波の堀江(大阪市)で一光三尊(善光寺如来)の本尊を見つけて持ち帰り、自宅の臼の上に安置したところ、臼が燦然と光を放ったことからここを「坐光寺」(元善光寺)としたとされる。
その後、642年、勅命により本尊は芋井の里(長野市)へ遷座された。その時、善光の名をとって善光寺と名付けられたという。
このようないきさつで
「善光寺と元善光寺と両方にお詣りしなければ片詣り」
といわれている。
さて、どこまでが本当で、何が作り話なのか、想像するだけで頭がこんがらがる
でも、答えは一つです。
元善光寺さんの近くに仏教を真剣に愛し世の中に広めようとした方がおられたと言う事実です。
仏教会、このような方が活躍されることを祈りたい。
仏教がどのようにして日本に広められたのか、
このお寺と善光寺に大きなヒントがあると思いました。
内陣参拝、お戒壇めぐりも無料でした。
戒壇巡りとは、仏様の体内巡りともいい、暗闇の中を手探りで進み、御本尊様の真下に位置する「御錠前」に触れて、仏様とより深いごを結ぶことができるのです。
可愛いっすね
淋しさは人にこそよれ鳴く蛙 蕉雨
蛙が鳴くと翌日は雨?
うそ、ほんと?
ややほんとらしい
うらやまし浮世の北の山桜 芭蕉
「浮世の北」は北国金沢のことで、句空(芭蕉の門人)のことを「山桜」にたとえた。芭蕉はこの頃、江戸蕉門の派閥抗争、家族の病弱、住いの狭いことや騒がしいことなど、問題を抱えていたという。
長野県飯田市座光寺2638