反転は、出来事の視点の変化によって起きる。


そのトラブルらしきものをどう捉えるか?


これは、自分が認識する『事実』を捉え直す作業。


重要なことは、相手、他人の認識する『事実』


ではないこと。


相手は、相手の意識であなたとのトラブルらしき


『事実』を認識する。


その認識は、さして問題がないものとして


捉えているかもしれないし、あなたと同様に


重要なこととして捉えているかもしれないが。


その『事実』の認識には、ズレがある。


こちら側では、その『ズレ』が必ずあるという


ことを認識することが、第一歩。


自分の『事実』と違うと、相手の『事実』


に引っ張り込まれる。


その逆もまた可能である。


裁判は、その主導権の取り合いの最たるもの。


新たな『事実』が出てくるのも、ある意味


主張している人のエネルギー(信念)の強さ


とも言える。


新たな『事実』は、本当はその世界にはもともと


なかったけども、そう願ったことで生まれた


ようにも捉えることができる。



反転は、『事実』の認識⇨『事実』の生成


ということを実はやっている、またはする


ことができる力を持っていると思えるかということ。



日常における螺旋的上昇は、平面的な螺旋と


される『日常』において、起きている特に


『非日常』について、少しだけ上昇した


視点、視座で捉え直すことができるかということ



これは、同じことが起きたときに次はこの


ように『対処』しよう!ということではない。


これは、平面的螺旋の延長である。


それはそれで良いのですが、その出来事が


おきる前提、その出来事を『事実』として認識


した瞬間の自分にフォーカスする。


🟰意識の拡張が起きる。


フォーカスするのに意識が拡張するという


言葉にすると矛盾するが、意識の拡張は


内側と外側の双方向に起きるので、


内観即ち、内側を見つめると、自らの宇宙


(意識)が拡張する。


出来事である『事実』という点を起点に


その起点が自らの認識であると気づくことで


宇宙は拡張を始める。


これは、日常における認識の視座の上昇(螺旋的上昇)を伴っておきている。



沈黙


何度か起きるストップ


これは、果たして本当に『悪い』ことだろうか。


この『悪い』と思ってしまう認識に対する疑問


沈黙は、その疑問を溶かす。


そのストップが必要なものとして起きて


いるとしたら、いや、『必要』という言葉は


嫌だな。


せめて、起こるべくして起きているとしたら。


どうすれば良かった?というのは、大切では


あるが、実は本筋ではない。


これは、『余白』がないということ。