最近の私は課題の一つとして “豊かさの分かち合い” を、意識して行っている。


これは7月にインドへ行った時に体験したいくつかの “愛の分かち合い” を基に「お金以外の豊かさを他者と分かち合うという事を、徹底してやってみては?」との師の提案を受けての事。


自分の持っている豊かさ(物質や思い遣りの気持ち等)を、他者と共有したり分け与えたり、という事を意識して実践している。


が昨日、ちょっと自分の意に反した事を、起こしてしまった。


仕事帰りの混み合ったバスの中。


杖を持った年配の女性が乗車してきた。


いつもの私ならすぐさま席を立ち、声をかけて座って戴くのに、何故か違和感を感じて、この時は躰が反応しなかった。


(何故?)と思っているうちに、他の乗客が席を譲る。


その時の彼女、頭をほんのちょっと下げて笑顔も見せず言葉をも発さないまま、席に着いた。


私にはその姿が(席を譲られるのが当たり前)という態度に見えて、(あ、だから躰が動かなかったのか)と。


杖を“持っている”のだから足が悪いのだろう。


バスは揺れるしバランスを取りにくいから、自分が元気ならこういう方に席を譲るのは当然のこと。


それに、私には「譲られて当たり前」という態度に見えたけれど、彼女にそんな意識はなかったかもしれない。


人に感謝して貰いたくて席を譲るわけではなく、相手に喜んでもらえればそれでいいというスタンスのつもりだったのだけど、私はやっぱり相手の“笑顔”が欲しいらしい。


(エゴだな)


相手に喜びの態度がないと、自分も喜びを感じられないから、それを求めてしまうのだろう。


見返りを求めない愛からはほど遠い自分に気付く。


(結局は偽善かぁ)


条件なしの愛は、まだまだ習得出来ないみたい。


また今日から気持ちを建て直して、分かち合い精神の出直しをしなきゃ。


条件を付けない、条件を付けない、、、、。





私は生まれてからこのかた、ずっと自分の居場所を探していたような気がする。


子供の頃から私の周りにはいつもたくさんの友達がいたし、社会に出てからも行く先々で必ず親しい友人が出来た。


子供達が学校へ通うようになるとママ友も増えて、未だにいくつかのグループとの付き合いがある。


長い付き合いだから気心も知れていて、楽と言えば楽。


一緒にいる時間は愉しいし、仲間として受け入れてくれることは、とても有難いと思う。


なのにいつの頃からか、妙に話に入りきれない自分がいることに、気付きはじめた。


居心地悪い訳ではないし、嫌だとも思わないのだけれど、会話に心が動かない。


結局、私の興味が彼女たちのそれとは別の方向に行ってしまっていている事が、原因なのだと知る。


今私の意識は宇宙の仕組みや、魂の創り出す世界に向かっている。


現にそういった話の出来る友人達との会話は凄く弾むし、内容の濃い時間となっているなと思う。


自分の身を置きたい場所が、変わってきてるよう。


波動が変わると、付き合う相手も変わるのは仕方のない事。


事実、親しくしていてもいつしか疎遠となる人はいる。


自分から去ることはないけれど、去る人を追いかける事もしない。


皆、自分のいるべき所に収まって行くのだろうし、それでいいのだと思う。


そして私も、最も自分らしくありのままでいられる場所に身を置く。


そこが私のずっと探し続けていた、居るべき所。















エゴは

言い訳をするときの

必須アイテム

我ながら 

本当に上手に使うものだと

感心する

その言い訳を

誰にするのかと言えば

相手は 大概 自分

ハイアーな自分に対して

ローアーな自分が

やれない理由

視ようとしない理由

聴こうとしない理由

そして前に進もうとしない理由を

一生懸命 あらゆるエゴを用いて

言い訳を考える

すべて 何の意味も為さないと

知っているのに、、、

このループから抜けるには

使えるエゴを

減らしていくこと

一つ一つ癒して

静かに眠らせてしまう事

この地に何をするために来たのかを自覚した今

自分への言い訳も

他者への言い訳も

もう 必要ないから




昨夜、仕事から帰宅して玄関ドアを開けると、どこかからジージーと言う羽音が聞こえてくる。


今日は仕事場でアブに刺されたと言う仲間の話を聞いたばかりだったので、もしやと身構えながら、その羽音の主を探す。


飛ぶのが早いし、玄関の薄暗い中なので、中々姿を確認出来ない。


するとその主は灯りをめがけて、私の立っている玄関へ。


(トンボ?!!)


凝視してみると、大きなシオカラトンボである。


私は大のトンボ好き。


最近は緑の多い場所でもあまり観られなくなっていて、寂しく感じていた。


それが何故か我が家にいる!


(私に取っては凄く嬉しい事だけれど、トンボ本人は多分自然の中に帰ることを望んでいるだろうなあ。)


あちこち飛び回るトンボ、何とか外に出してあげねば。


そうこうしているうちにトンボは二階を目がけて上がって行き、丸い筒型の照明器具の中に入ったり出たりを繰り返している。


手の届く高さなので、何とか両手を使って優しく捕獲しようとするが、兎に角すばしっこくてすぐ逃げられてしまう。


仕方なく(かわいそうで嫌だやったけど)シッポを挟んで、捕まえることに成功した。


踊り場の窓を開け、解放。


なのに(何故?)また、入ってきてしまう。


今度は両手で包み込んで。


外に出してすぐ窓を閉めた。


トンボはしばらく窓の所で羽音を立てていたが、そのうち音がしなくなったから仲間の元に、帰ったのだと思う。


トンボは神様の遣いだと言われている。


また、習性としてバックすることが出来ず、前に進むのみというスピリチュアル的な意味合いもある。


今これから私がやろうとしている事へのメッセージなのだと、確信する。


インドでの体験を踏まえ、これからの自分を再構築しようとしている私と娘。


ただ前を見て前進する事を促されている。


過去を振り返らず抵抗することなく、そして疑いを持たず。


これまで繰り返して来ているパターンを、手放す時が来ている。