知人のSさんの話。


彼女は営業職のパートさん。


幾つかの店舗を回る仕事をしている。


ある日Sさんは会社から命じれて、あまり訪れたことのない店舗を訪ねた。


するとすぐに店長さんに呼びつけられ、結構な剣幕でクレームを言われたのだと言う。


クレーム内容はSさんの責任下のものではなく、関連している他社へのもの。


とりあえずクレーム内容を自社に持ち帰り上司に報告し、関連他社に連絡を取ってその店舗に説明に行って貰ったのだそう。

「もう、しょっちゅうだから嫌になっちゃう」と、Sさん。


実はSさん、こういった事は一度や二度ではなく、自分の関知していないクレームを受ける事が多い。


(Sさんの何がそうさせるのだろう?)


「落ち着いた雰囲気だし、この人なら話を聞いてくれそうだと思うんじゃない?言いやすいのかも」とは、Sさんの仲間達の弁なのだが、、、、。


無論、Sさんはこんな立場にいることをとても嫌がっている。


でも、意思とは反対の状況が現実には、起きている。


現実化されるのは、本人がメリットを感じて潜在意識が望んでいるものという事から考えると、Sさんの望みは会社を代表してクレームを受けるという立場にいたいという事が、真実となる。


では彼女の潜在意識に潜むメリットとは何か?


考えられるのは、まず仲間からの同情が得られるという事。


「かわいそう。会社の犠牲になって」という労りの言葉が得られる。


次に考えられるのは、クレームを入れられてもその場に必要な対処が出来るというアピール。


本来ならば社員がその役割を果たすべきところなのに、、、、ともいうべき「恩」も売れるかな?


こんな風に本人の自覚しないところで、いろんなエゴが発動されてしまう。


潜在意識の中には見知らぬ自分を表すエゴがたくさん眠っているし。


自分でそのエゴを認識し向き合っていく事ができれば、理不尽なクレームを受ける事も、なくなるのかもしれない。


潜在意識。


深層心理。


見えないだけに、ホント厄介。


心理学学んだ身であっても、始終振り回されているもんなあ。




















スペインの民話。


天使がボロボロの服を着たホームレスの格好をして、ある靴屋を訪ねてきた。

靴屋はその姿を見るなりウンザリした顔をし「毎日懸命に働いているのに、家族を食べさせるのもままならない暮らしだ。やるものなど何もない! 俺は何も持っていないんだ!」と。

「では、私があなたに100万あげよう。その代わりあなたの足を私にください。」と、天使。

靴屋「何を言う!足をやってしまったら、立つことも歩く事も出来ないではないか。100万ごときで、足をやれるか!」

天使「では1000万あげましょう。その代わりあなたの腕をください。」

靴屋「馬鹿なことを言うな。腕をやったら仕事が出来なくなるし、可愛い子ども達の頭を撫でてやれなくなるではないか。腕はやれない!」

天使「では一億あげましょう。変わりにあなたの目をください。」

靴屋「一億? 駄目だ駄目だ。目をやってしまったら女房子供の顔を見られなくなる。美しい景色も見られない。そんなこと出来るものか。」

すると天使は微笑みながら言った。

「あなたは何も持っていないと言った。でも本当はお金には代えられない価値のあるものを、たくさん持っているのですね。しかもそれらは全部貰ったものでしょ。」



私たちはいつも不足を数えて生きている。

所有している欠け替えのないものには、当たり前過ぎて気付かない。

毎日朝を迎え無事に一日を終えることの奇蹟に、感謝を忘れている。

与えられているものの多さを、見落としている、、、、。


私にとっては、自分がどう生かされているのかを、再認識させられる話しだった。

私には、、、、必要なものがすべて与えられている。
こんな話を聞いた。

それは東日本大震災の時のこと。

世界最貧国の一つと言われているアフリカのシエラレオネの人々が、被害にあった日本の為に支援をしてくれていたという。

シエラレオネは長年の内戦もあり、今でも一日一食しか食べられない生活をしている人が多く、子ども達の中には給食が唯一の食事という子も居る国と聞いている。

そんな生活の中、食事一回分を我慢して募金してくれたり、いつもより早く登校して土の上にひざまずき、祈りを捧げてくれたりしていたのだと。

“人間”と言う存在の中にはこんなに深い愛があるのかと、絶句してしまった。

シエラレオネの学校には日本人の先生が何人かいるそうで、その先生の国が大きな災害を受けたという事を知り、恩返しの意味もあったとは言うが、それにしても、、、と思ってしまう。

私自身を省みても、何かの支援をするときはまず、自分に必要な分は確保した上で、生活に影響のない範囲で、、、という支援の仕方が殆ど。

護りに入っている時点で、彼らの姿勢とはまるで違う、、、。

支援すると言う意味では良い悪いはないけれど、真似の出来ない彼らの愛に心を揺さぶられた私が居るのは確か。

身を捨ててでもの愛を貫く勇気は、残念ながら持っていますとは、言い切れない。

イエスの見せた無償の愛に近い感じがして、頭の下がる思い。

彼らと生活している先生方も、きっと愛情深い接し方をされているのだろうと思う。

勉強以上に大切なものを、シッカリ育んでいる。

世界にはこんな生き方を自然に行っている人達が居る。

身の引き締まる思いがした。





「先日阿佐ヶ谷の神社巡りしてきたんだけど、他では見られないものがあって、よかったわよ」という友人の話に興味をそそられ、訪ねてみることに。


こちらは阿佐ヶ谷明神宮。


鳥居をくぐると、出迎えてくれるのは三猿の、見猿、言わ猿、聞か猿。
この神宮とどういう関わりがあるのかは、分からない、、、。

天照大神 素戔嗚尊 月読尊が祀られている。

絵馬は、月読尊を祀ってあるせいか、お月様の形をしたものが。

この社で出しているお守り「神結び」
優れた工房で織られているとのこと。
神様とのご縁を結ぶという意図が。

鳥居をくぐった時は曇り空だったが、直に日が差してきて雰囲気が変わった事に気づく。
神宮にいる間、ずっと賑やかな小鳥の囀りが響いていて、柔らかな優しい空気感の神社であった。


次にご縁を頂いたのは馬橋稲荷。

手水舎には龍神
わかりずらいかな

稲荷社にたどり着くまでに、幾つもの鳥居がある


この鳥居は最初の赤い鳥居を抜けるとすぐに建っている。
私の今日一番の目的はこれを見たいが為の参拝。

向かって右側には、下り龍。

左側には上り龍。

こんな彫り込がある鳥居は初めて観た。
まず上り龍に触れて仕事の成功を願い、次に下り龍に触れて、他の人々への還元を願う。
成功のエネルギーを、皆と分かち合うということを示唆しているところが、心引かれる。
龍神好きの私だから、余計かな。

この稲荷社は、かなり波動が高いなと私には感じられた。

最初は阿佐ヶ谷明神同様小鳥の囀りがしていたが、直にピタリとそれは止み、水のせせらぎの音だけが聞こえてくる。

頭を取り巻くような強いエネルギー(圧)。

特に盆の窪辺りがきつい。

締め付けられるような強さは暫く続いた。

それと伴に(与えられているライフワークを何がなんてもやっていこう)という気持ちが強まり、お稲荷様と龍神様のバックアップのエネルギーに、感謝した。

周りにも還元出来るよう、もっと力をつけなくては。

今日の参拝は、そんな決意をもたらしてくれる結果となった。

(やっぱり来て良かった)