”昨日は、すべてがもっと美しかった
木々の間に音楽
ぼくの髪に風
そして、きみが伸ばした手には太陽”

(アゴタ・クリストフ『昨日』より、愛を込めて)





少し遅い帰省中でした。

わたしには既に実家がないので、夫の実家の秋田へ。


結婚後長女が4歳になる年まで過ごした場所です。
つまりわたしの一生の中では一瞬過ごしただけの土地なのですが。


それなのにとても濃厚に、
来る度に、よみがえります。


あの頃の「きみ」、
あの頃のわたしや思い。

毎日散歩した海までの道。
買い物に行ったスーパーマーケット、
遊びに行った支援センター、
すあまと言えばここ!のお菓子屋さんも。

でも。
全ての思いの中心はいつも「きみ」だった、あの頃。


寒さの厳しい冬に胸一杯に抱き締めた温もりや、春の喜びとともに歩けるようになったこと、美しい夏に直ぐに汗ばんでいた小さな身体や、どこにでも抱いてお出掛けした大好きな秋。

片時も離れることのなかったあの頃。


ここに帰ってくる度に、
まるでそこにあるかのように色鮮やかに現れる未だ本当に小さかった長女。


ここには永遠に、
幼かったあの頃の「きみ」が、
幸せで、とても幸せで悲しかったあの頃の若かったわたしが、
永遠に閉じ籠められているようです。

(いいえ、勿論本当には閉じ籠めているのはここでなく、わたしの心の中なのですが。)


それでもわたしはここに来る度その錯覚を楽しむのでしょう。
あの頃のきみが、いつまでもここにいるかのような錯覚を。

いつまでも、ずっと。

きっといつまでもいて欲しいと、願望にもよく似た思い。

思い出す度に懐かしく、幸せで、切なくて、
それは多分「美しい」と呼ばれているもの。







ああ、もちろん。

今だって存分に、幸せいっぱいですけれど。
「あの頃」は、もう取り戻せないから特別に、思うのでしょうか・・・

きっと過ぎ去れば、今だって、ね。