ブログです
25年前の今日私は大阪の堺
で古い団地に主人と2人
で暮らしていました
まだ寝ていた時いきなりの
大きな揺れ
立つ事さえ出来ず
食器棚が倒れ
冷蔵庫の扉が勝手に
開き中の物がどんどん
落ちて行きましたが
それも直すことも出来ず
ただ床にひれ伏すしか
出来なかった
どこが震源地かも分からず
あの時初めてもう死ぬんだ
と思いました。
でも神戸ではそんな甘い
状況ではなかった
友達にも連絡つかず
安否が分からず
ただ気持ちだけが焦るばかり
何もできない
自分の家の片付けも相当な
大変さでしたが家が大丈夫
だったから片付けだけで
済んだ。
電気もガスも水も普通に
使えた。
なのでできる範囲で
物資を送る日々でした。
今でもあの映像を見ると
涙が止まりません。
おやすみといってそばで
眠りについた家族がもう
返事もしない
我が家の子供は震災後の
子供なので震災の恐ろしさを
知らない。
それは震災を体験した
私達が語り継がなければ
行けないと思います。
25年前にお亡くなりに
なられた6千人の方々に
心からの哀悼を捧げます。