
能は死者を扱う「夢幻能」と、生きている人間を取り上げる「現在能」に分けられる。
能『卒都婆小町』は「現在能」のジャンルで、お芝居に近い作風となっていて「夢幻能」に比べると幾分物語は、わかりやすいのではないだろうか?

それでも詞章は室町時代の古文であるから、現代の我々が聴いてすぐにその言葉の意味を理解するのは難しい。
『卒都婆小町』の見どころの一つに「卒都婆問答」がある。
老女の小町が高野山の僧侶と卒都婆について問答をする場面で、難しい仏教語が飛び交うので解りづらい。
恥ずかしながら、演じる私も少し解らなかったので、石井倫子先生の現代語訳を元に、私なりの「お芝居風・卒都婆問答」作ってみた。

(僧) お婆さん、あなたが腰をかけているのは仏体を形どった卒都婆ですよ。そこ、どきなさい!
(小町) あら、仏体を形どっている、と仰っいますが、もう文字も見えないから朽木と変わりないでしょ。
(僧) たとえ深山の朽木でも、花が咲く木はすぐにわかるものだ。
まして仏を刻んだ卒都婆と言う木にしるしの無い訳がないだろう!
(小町) 私も賤しい埋れ木ですが、心の花は残っているよ。 こんな私にも花があるんだから、私が座っている、と言う事は〜、卒都婆に花を手向けている、という事なんだよ。
ところで、あなた方が言う、卒都婆が仏体とは、どういうことかい?
(僧) 金剛薩埵が人間に仏様の教えを示すために大日如来の誓いを形に表したものなんだよ!
(小町) へぇ〜、どんな形なの?
(僧) 地水火風空、の五つ。
万物の根本となる大事な要素なのだ!
(小町) でもさ、人間も五大、五つの要素から出来てるから同じじゃないの?(笑)
(僧) 形は同じでも心と功徳、功徳とは果報を得られるような善行のことですよ! それとは違うからね!
(小町) じゃ〜卒都婆の功徳とは、なになのさ?
(僧) 一回卒都婆を見ただけで、永遠に畜生道、餓鬼道、地獄道の三つから逃れられるから有難いんだ!
(小町)へぇ〜
じゃあ、私だって言うよ
一念発起菩提心!!!
どうだい?
私だって一遍悟りを求める心を起こしたら、すごいよ。
たくさんの塔を作る事より、ずっと功徳があるはずだよ。卒都婆になんか負けゃしないよ。
(僧) じゃあ婆さん、菩提心があるなら、なぜ出家しないんだよ!
(小町) してるわよ、形の上ではなく、心でしているのよ
(僧) なに言ってんだよ婆さん!
心が無いから、わからなくて卒都婆に腰掛けたんだろう?!
(小町) 違うわよ、仏体だと知っているから卒都婆に近づいたのよ。
(僧) それならどうして拝まないで尻に敷くんだよ!
(小町) どうせ倒れてる卒都婆じゃないか。私も一緒に休んで、なにが悪いんだよ?
(僧)それは順番が違う!
まともなご縁の結び方になってない!
(小町) いいや、悪事がきっかけで出来たご縁だって同じことだよ。
だってあの極悪人の提婆達多だって観音の慈悲で救われたし、愚か者の槃特も文殊の知恵と同じよ。
悪も善も同じで、煩悩だって菩提(悟った心)と同じ、菩提は菩提樹にたとえられるけど、本当は植木のような物体ではないのよ。
澄んだ心は鏡と同じで台のようだと言うが、台に乗っかっているものではないんだよ。
すべてはね、空であり、実体はないんだよ!
そんな風に考えてみたら仏様も私達衆生も区別はないの。
あんたら順縁とか逆縁だとか言うけどさ、元々は愚かな凡夫を救う方便だからね。逆縁だって救われるのよ、判ったかい?(笑)
以上。と、まあ、ああ言えば、こう言う嫌な婆さんが屁理屈を並べて僧侶を論破し、遂には僧を土下座させ謝まらせてしまう。

こんな人、周りにいますか?
いませんよね?
え!
いる!?
能『卒都婆小町』は百歳を生き抜いた小野小町という人間ドラマの一コマなんだなあ、と思いながら稽古している。
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写真 『卒都婆小町』シテ 粟谷菊生 ワキ連 宝生欣哉 大鼓 柿原崇志 小鼓 横山晴明
粟谷能の会平成3年3月3日 国立能楽堂
文責 粟谷明生